1997年12月に,我が国の主催により百数十カ国が集まり,地球温暖化防止京都会議 が開かれ,難航の末,2008~2012年間について,締約国全体でCO2排出量を1990年比 で5%の削減(各国の削減率は日本6%,米国7%,EU8%)をする議定書を採択した.
今回の京都会議で,CO2対策の本命である原子力発電が議題に取り上げられなかっ たこと,またマスコミがそれについて一言も追求しなかったことは誠に不可解なこと である.現実にはこのまま行くと,今後増え続けるエネルギー需要により,我が国の 2010年のCO2排出量は90年と比べて20%の増加が見込まれることを考えると,日本が 約束した6%の削減率は,2010年の26%の削減率に相当することになり,如何に大変 な削減率かが分かる.(図1参照)具体的なCO2削減の方法に関しては,議題に上がら なかった日本政府の当初の提案(5%削減案)に,「今こそ,エネルギーの供給面と 需要面(省エネルギー)でこれまでにない思い切った対策が求められるとして,エネ ルギー供給面では,CO2を発生しない原子力発電を国民の理解と安全性の確保を前提 として今から約20基増やし,同じくCO2を発生しない太陽光発電等の新エネルギーを 現状の約3倍増やす必要がある.」と書かれている.しかし,今回決まった6%の削 減率を達成するには, さらに追加した対策が必要である.具体的に数字を挙げると,日本政府が省エネルギ ー政策を強力に進めても,2010年には,原子力発電を約6600~7000万kwと現状より約 1.5~1.6倍の規模にしなければ,京都会議での国際的約束はもちろん,自国のエネル ギー供給さえも困難となるのが現状だ.
京都会議は,エネルギー自給率約20%(石油の自給率0.3%)の無資源国日本が, 今後地球環境の破壊を最小限に生活の質の向上をはかるためには,いたずらに原子力 発電に神経質になることなく,積極的に利用して行くべきである事を国民に理解して もらうまたとない機会であったのに残念でならない.現在考えられている地球温暖化対策は,次の通りである.
第1次石油危機直後,通産省は新・省エネルギーの技術開発に関する国家プロジェ クトをスタートさせ特殊法人「新エネルギー・産業技術総合開発機構」(NEDO)を設立 し,1992年までに合計約6,000億円を投入し,国,及び民間の力を結集して研究開発 を行った.その結果,再生可能な太陽,風力等の自然エネルギーは何れも希薄,間欠 なエネルギーであり,量的にもコストの面でも制約があることが分かった.政府の「 長期エネルギー需給見通し」でも,国が補助金を出す等の新エネルギー導入促進のた めの最大限の努力をしても,2010年の1次エネルギー全体の約3%としている.つま り,新エネルギーに過大な期待をかけても無理と言うことである.
原子力発電のメリットは次の通りである.
原子力発電のデメリットは放射性廃棄物を出すことだが,安全性に充分注意して対 応すれば,その発生量はごく僅かであり(100万KWの原子力を1年間運転すると,放 射性廃棄物が0.9トン発生するが,日本人1人1日当たりに換算すると僅か95g.生活 ・産業廃棄物の1/37000),優れたエネルギーシステムと言える.化石燃料の枯渇, 地球環境問題,及び日本のエネルギー問題を考えるとき原子力発電を抜きにしては考 えられない.そのメリット,デメリットを冷静に評価する必要がある.この際,誤っ た情報から誤解されている原子力発電を国民に正しく理解してもらうようもっとPRす べきだと思う.
行政改革は,中曽根内閣による「臨時行政改革推進審議会」(昭和58年)以降遅々 として進まなかった行財政改革問題が,橋本内閣による「中央省庁再編統括計画」, そして現小渕内閣になって「中央省庁等改革推進本部」が設置され,平成10年9月に はたちまちの内に「中央省庁等改革基本法」が成立した.国家公務員削減は,橋本内 閣の10年間に10%から20%に拡大され,各種法律の立案・計画の策定に関し,上記推 進本部事務局案がすでに提出され,平成13年から実施に向け,急ピッチで作業が進ん でいる.行政改革の一環として教育改革もとりあげ,その中に大学改革問題が大きな 課題としてなっている.
行政組織の減量・効率化の目玉として「独立行政法人制度の創設」が盛り込まれ, まず,工業技術院傘下の全研究機関が法人化の対象とされた.(2001年1月より実施 予定)
昨年12月17日の行革推進本部顧問会議において,推進本部副本部長(太田総務庁長 官)と有馬文部大臣との協議で,「国立大学の法人はその是非を含めて5年(2003年 )以内に結論を出す」ことが了承され,国立大学の法人化は一応現在は ペンディングだが,各大学は早急に具体的対応を進めなければならなくなった.最終 的には,いかなる設置形態になろうとも,国立大学改革は必然になってくるであろう.
独立行政法人制度の基本は「事前関与・統制を極力排し,事後チェックへ重点の移 行を図るため,所管大臣の監督,関与を制限するとともに,財政民主主義の観点等か ら国の関与も必要最小限のものにする」となっている.
財務・会計で国の予算上の措置としては,「独立行政法人は,一般的には独立採算 制を前提とするものではなく,法人への移行後は,国の予算において所要の財源措置 を行うものとされ,移行後の予算措置に当たっては,移行前に必要とされた公費投入 額を十分に踏まえ,事務・事業が確実に実施されるように十分に配慮するものである 」となっているので,一応財政上の保証はされるが,現状(大学・大学院の制度・設 備や,教官の欠員が多い場合でもその実員)をベースにして算定されるので,移行時 点で教官欠員もない充実した高度な状態の大学であることが必要である.その点,学 科・大学として十分注意して対処しなければならない.
国立大学協会の考え方は,「初めに法人ありき」ではなく,「大学改革の自らの実 行(大学審議会答申「21世紀の大学像と今後の改革方策―競争的環境の中で個性が輝 く大学―」をまず行い,その結果を待って設置形態を検討すべきである」としている.
そのKey Wordは,個性化,多様化,弾力化そして自立性である.
何れにしても,今後3~4年の間に大学のあるべき姿や,自らの選択を大学関係者ば かりでなく,社会の意見も汲み入れて早急に詰めていかなければならない.
21世紀は,流動的で複雑化した不透明な時代,グローバルな協調・共生と競争力の 強化が求められる時代,少子高齢化と産業構造や雇用形態の大きな変化や,生涯教育 需要の増大の時代,そして豊かな未来を拓く学術研究の進展の時代,等「知」の再構 築等が求められる時代であるが,我が電気情報工学科,知能情報システム学科はじめ ,名工大にとっては,社会の大きな変化の中にあっても「高い志」と「意欲」そして 「体(実)力」を持って事に処していくことが重要であると思われる.
社会や産業界は,電気・電子・情報・通信の一層の発展を期待しているが,電影会 諸氏の益々のご活躍と名工大へのご支援を宜しくお願いいたします.
ベンチャー・ビジネス・ラボラトリー(以下VBL)は,新産業創出のための研究シ ーズの発掘とそれにふさわしい人材養成を目的に設置されたもので,名工大には平成 8年度政府補正予算で設置され,平成10年2月末に研究施設が竣工,7月に竣工記 念式典を行った.現在,27の国立大学に設置されている.
研究施設は,本学御器所キャンパス内の東門横に鉄骨3階建,延べ床面積1,500m2 の単独研究棟として竣工し,各フロアーには6~7の研究室・実験室が配置され,ま た,リフレッシュコーナーが,大学院生を含む研究者の交流,情報交換の場として各 フロアーに設けられている.
1階には,レーザーイオン質量分析装置,超微細放電加工装置,人工環境制御室な どの大型設備が設置され,2,3階には実験結果の評価・解析装置を中心とした実験 室,およびコンピュータにより各種シミュレーションを行う研究室が配されている. 主要設備を表1に示す.
超精密素材構造・特性解析システム |
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超微細加工システム |
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感性・視覚環境評価システム |
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高性能集積回路開発システム |
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VBLの運営はVBL長及び学内教官で組織される運営委員会と学外者及び運営委員会の メンバーを構成員とする連携協議会によって行われる.連携 協議会の学外メンバーは行政側や各種研究財団法人等11機関からご参加いただいて おり,主に公募研究テーマ策定や研究成果展開の支援を行う組織として位置づけられ ,名工大VBLが目指す“産学官の連携”,“研究活動の公開”を支援する.
大学で従来行われていた研究,教育活動をBasic Research & Education と捉える ならば,VBLや既設の共同研究センタでの教育,研究活動はExtended Research & Edu cation と捉えることができよう.大学と企業の共同研究に対する社会的ニーズの高 まりの中で,VBLと既設の共同研究センタが,名工大の新しい社会に開かれた研究活 動の場として発展していけるよう,卒業生諸氏の絶大なる支援をお願いしたい.
私の勤務する株式会社豊田中央研究所は,豊田左吉翁の言葉である「研究と想像に 心を致し,常に時流に先んずべし」を精神として,トヨタグループ各社の出資で1960 (昭和35年)に設立されました.近年では自動車産業分野に限らず,様々な技術分野で 研究開発に取り組んでおります.当社の概要については,すでに名古屋工業会機関誌 「ごきそ」においてご紹介がありましたので,本稿では私の所属する情報通信研究室 の業務概要について述べたいと思います.
高度道路交通システム(Intelligent Transportation System: ITS)という言葉を最 近見聞きすることが多くなりました.ITSは情報通信技術を応用することにより,現 在の自動車交通の抱える様々な問題点の解決を目指すものです.ITSの実現により以 下の自動車交通環境の改善ができると考えられています.
当研究室では,ITS実現のために要素技術の開発を行っています.
次に,最近の研究開発例をご紹介したいと思います.
このほかにも,自動車に対し大容量のマルチメディア情報を伝送するための路車間 超高速ディジタル無線通信システム,車間距離や路上の障害物を検出するためのミリ 波応用システム,などの研究開発を進めています.
ITSに関連する技術は非常に広範囲にわたっており,当研究室においてもヒューマ ンインターフェイスや電子デバイス関連部署と連携して研究開発を進めています.最 新の研究成果など詳しくは当社のホームページ (http://www.tytlabs.co.jp) をご覧下さい.
I, Kalaga Murali Krishna, came from Hyderabad, Andhra Pradesh, a southern part of India. I received Ph.D. in Chemical Sciences from Indian Institute of Technology Bombay, one of the premier institutes of India.
I came to Japan as a post doctoral researcher in October 1995, and joined the Research Center for Micro-structure Devices, Nagoya Institute of Technology (N.I.T.), Nagoya. I am working in the research field of photovoltaic solar cells using stable and low cost photofunctional materials. That was my first abroad visit in my career. At first sight, I did not find much difference between my country and Japan, on surface,except its cleanliness. However, I was very much touched by this technologically well developed country, Japan, soon after a couple of days, in many aspects.
The life, both research and social, in N.I.T. is very cool and comfortable.The group, where I am currently working, is very cooperative though within the limits. Language could beone of the barrier for coherent interaction in all respects, however, by picking up the japanese language through guiding students, I could try to overcome this problem at least to some extent.
I found that the people of Japan in particular and the society in general are very friendly and cooperative. Japan is a very safe country,especially for foreigners.
I welcome the people of Japan to visit our India.
新年度が始まり,電影会関連の学科の担当も以下のようになりました.
永年お世話になりました.
次の方が叙勲の栄誉に浴されました.
ここに謹んで哀悼の意を表します.
昨年度の入試状況と就職状況は以下の通りです.
前期日程 | 後期日程 | ||
---|---|---|---|
推薦 | 一般 | 一般 | |
募集人員 | 40 | 100 | 30 |
志願者数 | 192 | 323 | 205 |
受験者数 | 192 | 292 | 103 |
合格者数 | 40 | 103 | 31 |
前期日程 | 後期日程 | |
---|---|---|
募集人員 | 45 | 15 |
志願者数 | 165 | 101 |
受験者数 | 157 | 47 |
合格者数 | 46 | 18 |
推薦 | 一般 | |||
---|---|---|---|---|
高卒 | 社会人 | 前期 | 後期 | |
募集人員 | 15 | 若干名 | 35 | 10 |
志願者数 | 10 | 12 | 112 | 67 |
受験者数 | 10 | 12 | 102 | 29 |
合格者数 | 9 | 11 | 38 | 10 |
電気情報 | 知能情報 | |
---|---|---|
募集人員 | 若干名 | 若干名 |
志願者数 | 3 | 4 |
受験者数 | 3 | 4 |
合格者数 | 2 | 1 |
電気情報 | 知能情報 | |||
---|---|---|---|---|
一部 | 二部 | 一部 | ||
一般 | 社会人 | |||
募集人員 | 若干名 | 若干名 | 若干名 | 若干名 |
志願者数 | 60 | 1 | 9 | 17 |
受験者数 | 59 | 1 | 8 | 16 |
合格者数 | 22 | 1 | 4 | 5 |
博士前期 | 博士後期 | |
---|---|---|
募集人員 | 58 | 6 |
志願者数 | 170 | 14 |
受験者数 | 163 | 14 |
合格者数 | 124 | 14 |
電気情報 | 知能情報 | ||||
---|---|---|---|---|---|
大学院 | 一部 | 二部 | 大学院 | 一部 | |
卒業者 | 71 | 218 | 53 | 22 | 60 |
進学者 | 3 | 100 | 4 | 6 | 35 |
一般企業 | 68 | 106 | 38 | 16 | 21 |
官公庁関係 | - | 2 | - | - | 2 |
教員 | - | - | 1 | - | - |
未定者 | - | 6 | 7 | - | 2 |
その他 | - | 4 | 3 | - | - |
以下の方々より寄付をいただきました.ご高配に厚く御礼申し上げます.
氏名 | 卒業年度 | 学科 |
---|---|---|
清水 達英 | 昭和 7 | 電気工学科 |
清水 弘 | 昭和 7 | 電気工学科 |
三船 修 | 昭和 7 | 電気工学科 |
柳澤 祐雄 | 昭和 7 | 電気工学科 |
青木 紀郎 | 昭和 10 | 電気工学科 |
安藤 政夫 | 昭和 10 | 電気工学科 |
堤 顕三 | 昭和 10 | 電気工学科 |
伊藤 幸三 | 昭和 12 | 電気工学科 |
砂田 辰夫 | 昭和 12 | 電気工学科 |
匿名希望 | 昭和 12 | 電気工学科 |
井上 丈太郎 | 昭和 13 | 電気工学科 |
大原 栄 | 昭和 13 | 電気工学科 |
近藤 育温 | 昭和 13 | 電気工学科 |
中村 嘉平 | 昭和 13 | 電気工学科 |
花井 正巳 | 昭和 13 | 電気工学科 |
赤尾 廣重 | 昭和 14 | 電気工学科 |
菊地 秀樹 | 昭和 14 | 電気工学科 |
多田 良之 | 昭和 14 | 電気工学科 |
谷山 次弘 | 昭和 14 | 電気工学科 |
蛭川 達雄 | 昭和 14 | 電気工学科 |
野口 英男 | 昭和 15 | 電気工学科 |
石川 太郎 | 昭和 16 | 電気工学科 |
井上 順弘 | 昭和 16 | 電気工学科 |
梅村 六郎 | 昭和 16 | 電気工学科 |
加藤 文雄 | 昭和 16 | 電気工学科 |
上月 次良男 | 昭和 16 | 電気工学科 |
久保 稔 | 昭和 16 | 電気工学科 |
窪田 文雄 | 昭和 16 | 電気工学科 |
杉山 貞夫 | 昭和 16 | 電気工学科 |
竹内 芳郎 | 昭和 16 | 電気工学科 |
辻 良男 | 昭和 16 | 電気工学科 |
中村 智善 | 昭和 16 | 電気工学科 |
堀田 五郎 | 昭和 16 | 電気工学科 |
水野 宏行 | 昭和 16 | 電気工学科 |
横山 哲郎 | 昭和 16 | 電気工学科 |
石田 喬力 | 昭和 17 | 電気工学科 |
今村 弘 | 昭和 17 | 電気工学科 |
近藤 守信 | 昭和 17 | 電気工学科 |
服部 弘 | 昭和 17 | 電気工学科 |
桜井 尚 | 昭和 18 | 電気工学科 |
芝辻 輝夫 | 昭和 18 | 電気工学科 |
祖父江 晴秋 | 昭和 18 | 電気工学科 |
中村 正 | 昭和 18 | 電気工学科 |
大橋 英司 | 昭和 19 | 電気工学科 |
内藤 毅雄 | 昭和 19 | 電気工学科 |
三宅 正信 | 昭和 19 | 電気工学科 |
伊藤 博英 | 昭和 20 | 電気工学科 |
中野 彌喜雄 | 昭和 20 | 電気工学科 |
深谷 義勝 | 昭和 20 | 電気工学科 |
大野 徳衛 | 昭和 21 | 電気工学科 |
大泉 秀夫 | 昭和 22 | 電気工学科 |
小出 照明 | 昭和 22 | 電気工学科 |
佐藤 和夫 | 昭和 22 | 電気工学科 |
鈴木 行雄 | 昭和 22 | 電気工学科 |
玉田 博二 | 昭和 22 | 電気工学科 |
坂 昇 | 昭和 22 | 電気工学科 |
三木 忠夫 | 昭和 22 | 電気工学科 |
森 哲夫 | 昭和 22 | 電気工学科 |
浅野 和夫 | 昭和 23 | 電気工学科 |
荒井 允之 | 昭和 23 | 電気工学科 |
伊藤 敞夫 | 昭和 23 | 電気工学科 |
氏家 計之輔 | 昭和 23 | 電気工学科 |
大橋 光治 | 昭和 23 | 電気工学科 |
木元 鋭彦 | 昭和 23 | 電気工学科 |
熊崎 憲次 | 昭和 23 | 電気工学科 |
佐橋 輝男 | 昭和 23 | 電気工学科 |
鈴木 宏 | 昭和 23 | 電気工学科 |
竹内 節 | 昭和 23 | 電気工学科 |
田島 清良 | 昭和 23 | 電気工学科 |
辻 泰司 | 昭和 23 | 電気工学科 |
永井 秀夫 | 昭和 23 | 電気工学科 |
中村 順 | 昭和 23 | 電気工学科 |
日比 亘 | 昭和 23 | 電気工学科 |
水谷 末一 | 昭和 23 | 電気工学科 |
山田 豊昭 | 昭和 23 | 電気工学科 |
横関 実 | 昭和 23 | 電気工学科 |
吉田 昭二 | 昭和 23 | 電気工学科 |
分部 力 | 昭和 23 | 電気工学科 |
井上 昮 | 昭和 24 | 電気工学科 |
櫻木 俊男 | 昭和 24 | 電気工学科 |
芝 謹一 | 昭和 24 | 電気工学科 |
真弓 箭一 | 昭和 24 | 電気工学科 |
泉舘 昭則 | 昭和 25 | 電気工学科 |
加藤 裕 | 昭和 25 | 電気工学科 |
後藤 正 | 昭和 25 | 電気工学科 |
澤田 幸之輔 | 昭和 25 | 電気工学科 |
林 文雄 | 昭和 25 | 電気工学科 |
伊藤 春光 | 昭和 26 | 電気工学科 |
沖辻 寛 | 昭和 26 | 電気工学科 |
兼子 共明 | 昭和 26 | 電気工学科 |
阪口 貢 | 昭和 26 | 電気工学科 |
高木 博彦 | 昭和 26 | 電気工学科 |
中島 一雄 | 昭和 26 | 電気工学科 |
原 行一 | 昭和 26 | 電気工学科 |
犬飼 英吉 | 昭和 28 | 電気工学科 |
高橋 久男 | 昭和 28 | 電気工学科 |
山田 速水 | 昭和 28 | 電気工学科 |
志賀 拡 | 昭和 29 | 電気工学科 |
廣瀬 皓二 | 昭和 29 | 電気工学科 |
藤垣 節男 | 昭和 29 | 電気工学科 |
星野 忠美 | 昭和 29 | 電気工学科 |
石川 朝二 | 昭和 30 | 電気工学科 |
岩崎 晃 | 昭和 30 | 電気工学科 |
内田 忠良 | 昭和 30 | 電気工学科 |
浅井 利夫 | 昭和 31 | 電気工学科 |
小澤 昌夫 | 昭和 31 | 電気工学科 |
倉田 怜 | 昭和 31 | 電気工学科 |
辻村 尚明 | 昭和 31 | 電気工学科 |
新剛 実 | 昭和 32 | 電気工学科 |
岡野 修 | 昭和 32 | 電気工学科 |
水谷 安郎 | 昭和 32 | 電気工学科 |
森 千鶴夫 | 昭和 32 | 電気工学科 |
小川 朝男 | 昭和 33 | 電気工学科 |
熊谷 直孝 | 昭和 33 | 電気工学科 |
水野 鉄雄 | 昭和 33 | 電気工学科 |
森下 正三 | 昭和 33 | 電気工学科 |
鈴木 倭 | 昭和 34 | 電気工学科 |
森田 幸和 | 昭和 34 | 電気工学科 |
行本 貞夫 | 昭和 34 | 電気工学科 |
岸田 昌美 | 昭和 35 | 電気工学科 |
森田 甫之 | 昭和 35 | 電気工学科 |
大野 隆一 | 昭和 36 | 電気工学科 |
小田 征一郎 | 昭和 36 | 電気工学科 |
馬路 才智 | 昭和 36 | 電気工学科 |
増田 勝一 | 昭和 36 | 電気工学科 |
金山 重夫 | 昭和 37 | 電気工学科 |
川原 明彦 | 昭和 37 | 電気工学科 |
長谷 真宏 | 昭和 37 | 電気工学科 |
中司 修慈 | 昭和 38 | 電気工学科 |
牧 直樹 | 昭和 38 | 電気工学科 |
森田 公 | 昭和 38 | 電気工学科 |
八代 弘 | 昭和 38 | 電気工学科 |
岩間 紀男 | 昭和 39 | 電気工学科 |
服部 昭三 | 昭和 39 | 電気工学科 |
水谷 滉 | 昭和 39 | 電気工学科 |
毛利 博 | 昭和 39 | 電気工学科 |
岩沢 允 | 昭和 40 | 電気工学科 |
稲葉 次紀 | 昭和 41 | 電気工学科 |
中村 光一 | 昭和 41 | 電気工学科 |
丹下 正彦 | 昭和 41 | 電子工学科 |
佐野 周造 | 昭和 42 | 電気工学科 |
小泉 隆弘 | 昭和 43 | 電気工学科 |
佐々木 春生 | 昭和 43 | 電気工学科 |
重見 健一 | 昭和 43 | 電気工学科 |
堀尾 猛 | 昭和 43 | 電気工学科 |
牧野 正俊 | 昭和 43 | 電子工学科 |
川島 孝雄 | 昭和 44 | 電気工学科 |
永井 清隆 | 昭和 46 | 電子工学科 |
藤原 修 | 昭和 46 | 電子工学科 |
北村 正 | 昭和 48 | 電子工学科 |
中島 正敏 | 昭和 48 | 電子工学科 |
飯塚 圭亮 | 昭和 49 | 電気工学科 |
川出 和己 | 昭和 50 | 電気工学科 |
眞鍋 和人 | 昭和 50 | 電気工学科 |
河合 章 | 昭和 50 | 電気工学科 |
朝倉 吉隆 | 昭和 51 | 電子工学科 |
長崎 高帆 | 昭和 54 | 電気工学科 |
吉田 誠治 | 昭和 54 | 電気工学科 |
大江 準三 | 昭和 54 | 電子工学科 |
酒井 公孝 | 昭和 54 | 情報工学科 |
江川 孝志 | 昭和 55 | 電子工学科 |
山口 初一 | 昭和 56 | 電気工学科 |
石橋 豊 | 昭和 56 | 情報工学科 |
荻原 秀和 | 昭和 56 | 情報工学科 |
安藤 幹人 | 昭和 57 | 電気工学科 |
竹下 隆晴 | 昭和 57 | 電気工学科 |
谷本 弘二 | 昭和 57 | 電気工学科 |
堀尾 一也 | 昭和 57 | 電気工学科 |
菊間 信良 | 昭和 57 | 電子工学科 |
松尾 啓志 | 昭和 58 | 情報工学科 |
徳田 恵一 | 昭和 59 | 電子工学科 |
平野 智 | 昭和 60 | 電子工学科 |
神谷 昌宏 | 昭和 63 | 電子工学科 |
前田 芳伸 | 昭和 63 | 電子工学科 |
林 宏明 | 平成 1 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
原 延男 | 平成 2 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
川上 康子 | 平成 3 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
上廣 弥香 | 平成 6 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
太田 幹也 | 平成 8 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
岡山 恭久 | 平成 8 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
田中 美弘 | 平成 9 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
西部 正義 | 平成 9 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
和田 秀倫 | 平成 9 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
さて,コンテスト再開となりましたが,卒業生(電影会会員)も応募可能ですので 奮ってのご応募お待ちしております.応募要領の詳細は電影会のホームページをご覧ください.なお,右に主な応募作品をご披露いたします.
詳細は こちら をご覧下さい.
電影会誌 7 号の記事を募集いたしますので,会員の皆様からの積極的なご投稿を電影会までお願いいたします.
最終更新 : 2006年 2月22日 (水) 19:57:18