バブル時代に「大きいことはいいことだ」とば かり日本国中が組織拡張策に走ったのは,ついこ の前のことである.しかし現在は量より質が求め られる時代であり,大学もその例外ではない.言 うまでもなく大学の使命は教育と研究である.そ れでは教育の質とは何であろうか.現在,全国の 大学の教育組織の重心は学部から大学院に移りつ つあるとともに,従来の一般学生の教育の他に社 会人教育,生涯教育の需要が高まっている.本学 においても大学院研究科の再整備,カリキュラム の再検討が求められている.このような大学教育 の評価については日本技術者教育認定機構(JA BEE)がある.これは個人に対する資格とは異 なり大学の教育プログラムに対する認定資格であ る.現在はまだ検討段階であるがその概要はカリ キュラムのみならず学習需要,学習環境などが評 価の対象となり,従来評価の難しさから省みられ ることの少なかった大学教育についての創意工夫, 反省などの検討が求められている.なお,JAB EEについては工業教育平成12年1月号に特集 記事が掲載されている.
大学の研究の質についても質より量の時代があ った.俗に「研究業績を論文の重さで計る」と揶 揄されたのもつい最近のことである.そして現在 ではいかに世の需要に応える研究かが業績評価の 基準になりつつあり,今後その傾向は一層強まる であろう.そして産学協同研究や技術移転(TL O)が広まり,それとともに人材交流も広がるこ とは望ましいことと思われる.大学に対する総合 的な評価は大学審議会答申を受けて平成12年2 月に大学評価機関(仮称)創設準備委員会の報告 があり,それによると大学評価は
これからの大学像を考えるには独立行政法人化 を抜きにするわけにはいかない.独立行政法人化 法案は一般的な通則法に対し,いわゆる特例法の 動向が明らかでないのであまり云々するわけにも いかないがその骨子は大学は中期および長期の将 来計画を立て,それが予定通り実行されているか 否かを第三者評価機関によってチェックするとい う点であろう.すなわち大学はこれからの社会の 動向,要望を見据えて独自の特色ある方針を決定 し,その線にそって進むことが要求される.した がってこれからの大学は社会の需要を視野に入れ つつ教育,研究面において独自のカラーをもつ工 夫がなければならない.本学の将来構想も総花的 な案ではなく時代の要請に応じた核になるものが 必要である.これについてもいろいろな提案があ るが,たとえば情報ネットワークを核とした研究 科案は電気情報工学科や知能情報学科の中にもシ ーズがあり,検討に値するものと思われる.この 分野はネットワークハードウエアからIT産業分 野を包括し,さらにその裾野は広く,単に情報通 信分野や社会科学分野のみならず機械,物性デバ イス分野にもおよぶもので,今後世界的に急速な 発展が予想されるにもかかわらず東海地区にはめ ぼしい研究構想が見あたらない.再構築の柱とし て十分検討に値するものと思われる.
大学が大きく転換しようとしている現在,何より もその将来を正しく見極めることが重要である. 名工大がより一層発展するためにも電影会諸氏の ご支援をよろしくお願いいたします.
電気情報工学科に就任するにあたり,自分自身の 戒めの意味をこめて,教育及び研究活動に対する 抱負を記させていただきます.
私は,1968年に九州大学工学部電子工学科を卒 業し,(株)日立製作所機械研究所に入所しました. その後,31年間(研究所28年間,事業部3年 間)会社に勤務した後,1999年9月に本学に赴任 してきました.会社では,最初に電気油圧サーボ の研究に従事し,振動台の開発に従事しました. その後,縮小投影露光装置用XYステージ及び磁 気ディスク装置などのメカトロニクス製品の位置 決め機構の開発,制御系CAEシステムの開発, プリント基板穴明け機等の機構制御技術の開発に 従事してきました.趣味は健康維持のための散策 及び頭脳老化防止のための読書です.
企業から大学に移るにあたり,教育活動と研究 活動にどのように取り組むべきか悩みましたが, 基本的には次の三点が重要であると考えています. 教育に関しましては,「後生可畏也」,若い人は 無限の可能性を秘めています.この可能性を最大 限に伸ばす手助けとなる教育及び研究指導を行う ことを教育の基本理念としていきたいと思ってい ます.
研究活動においては,「格物到知」,真の知識を 得るためには,各学問の基礎,原理の修得が重要 であります.世の中の色々な場面における問題を 解決するためには,あいまいな多くの知識よりも, 真に修得した知識が重要であります.そのために, 原理・原則の追求を第一に研究活動を進めていき たいと思っています.
現象として現れた課題を解決するためには, 「百戦百勝,非善之善者也」,問題の本質を追及し, 真に実現すべき機能・目的を明らかにし,本質的 問題を解決することが重要であると考えています.
上記の抱負を実現するためには,世の中のニー ズを洞察し,他に先駆けたテーマを設定するとと もに,そのテーマの重要性を学生によく理解して もらい,学生の知的好奇心を喚起する努力をする ことが重要であると考えています.そのために, 積極的な学会活動,研究会活動を通じて研究及び 技術動向を的確に把握することも重要ですが,世 の中のニーズにより近い場にある企業との接点を 増やす努力をしていきたいと思っています.製品 開発の現場で何が行われ,何が求められているか をなるべく早い機会に学び,自ら問題を発掘した り,解決する喜びを体験し,自信を持たせること により,学生の研究意欲を高めていきたいと考え ています.
本学には共同研究センターがあり,企業との積 極的な共同研究が進められています.共同研究は 一つのよい方法と考えています.但し,企業での 研究活動の経験からも,真に役立つ研究成果を生 み出すことの難しさも考える必要があります.最 も困難を感じたことの一つは,事業部と研究所の 物理的な距離です.製品開発においては,多くの 競争相手を意識して開発を進める必要があります. そのために,途中で開発目標が変更されることも あります.日々開発課題を共有しながら,物理的 にも精神的にも一体となった開発活動に参画でき るかどうかが,共同研究の成功の重要なポイント になるように思っています.そのためにも,人と 人との不断のコミュニケーションが重要であると 思っています.
皆様のご支援・ご指導を賜りながら,コミュニ ケーションの輪を広げていきたいと思っています ので,よろしくお願い申し上げます.
本学名工大への赴任は中日ドラゴンズが久々の 優勝を決めて間もない1999年10月でした. 愛媛で生まれ,中学2年で東京に転校してからは 東京で育ち,NTT研究所に就職してからは武蔵 野,鎌倉,横須賀,奈良へと移り住みましたが, 名古屋に住む機会は一度もありませんでした.星 野監督のご家族は10年経ってやっと本当の近所 付合いをしてもらえたというような話をどこかで 聞きた気がします.私の場合,10年も経てば本 学を去るくらいになります.取っ付き難く見える かも知れませんが,どうぞ早めのお付き合いのほ どよろしくお願いいたします.
専門の研究では,自律的な知能,特にその発現 体としての人工脳はどのような仕組みであるべき か,どうすれば作れるかに興味があります.その 中核技術として,学習,適応,最適化に焦点を当 てて研究を進めてきました.このような研究は, 新しい基礎となる理論を開発して,それを実現す るアルゴリズム,そしてアーキテクチャを含めた システム論に渡ると考えています.いずれにして もばらばらの断片的な知能研究ではなく,有機的 な繋がりをもった知能発現体としての人工脳をつ ねに意識して研究を進めたいと考えております.
さて,私は趣味として将棋を楽しんでいます. NTT研究所時代の若い頃,新しくできた横須賀 研究所で何もないので仲間と将棋部を作り,楽し みの場としました.力がついてくると対外試合を したくなり,春と秋に日本武道館で職域団体戦に 出場しておりました.最初はFクラスから入り, 苦労の末に一度はAクラスまで昇ったものです. 1チーム5人で3勝で勝ちなので2勝2敗となる と緊張が走ります.これに30秒の秒読みが重な ると何が起きても不思議ではありません.私も相 手の王が素抜きできるのに気付かないという愚か な失敗もしました.今なら笑えますが...
コンピュータチェスはすでに世界名人クラスに なっており,「Chess is easy!」と言われます.超 高速の探索エンジンさえあればよいのです.しか るに,コンピュータ将棋はそうはいきません.手 の選択肢が広すぎるため単なる探索では組合せ爆 発のため強くなれません.実際,将棋の達人は急 所の手だけを紡いで行くわけで,如何に無駄手を 読まないかが強さのバロメータなのです.これは 経験を学習する知能処理に他なりません.現在の コンピュータ将棋のほとんどが将棋の知識を陽に プログラムに組込んだものですが,人間のように 経験を通してどんどん強くなれる仕組みがあるは ずだと考え,学習する将棋システムの研究を夢見 ています.
昨年赴任してすぐに授業を2つほど担当するこ とになりました.自転車操業で苦しい面もありま したが,学科の学生の実態を把握するのに役立ち ました.また,学生の方も卒研配属において新任 の私を理解するのに役立ったはずです.演習の結 果などを見て意外にやれるじゃないかと喜んでい たら,テストの成績が悪く首をひねる始末で,実 態不明が正直なところです.全体的な印象として は要領の良さと共にまじめさが感じられ,学生の 学力低下が嘆かれる昨今ですが,望みはあるよう に思います.
21世紀に向けて,本学もリニューアルすべき 時期を向えたように思います.IT革命,脳の世 紀にふさわしい改革は電気情報と知能情報を核と する以外にはないように思われます.外部から来 た者として名工大の鮮やかな改革を心から願いま して私の新任挨拶に代えたいと思います.
これまでの工学部附属情報処理教育センター (昭和50年度設置)を廃止・転換し,平成12年 度から新たな学内共同教育研究施設として情報メ ディア教育センターの設置が文部省から認められ, 改組が実現した.この新しいセンター設置の背景 と目標には以下のようなことがある.(1)21世 紀の高度情報化社会において指導的役割を果たす 人材には,情報メディアを自在に活用する能力が 求められており,情報メディアを取り巻く環境は 急激に変化している.情報化が進んでいる米国の 大学では,半数以上の科目で,コンピュータとイ ンターネットの利用を前提とした授業がなされて おり,米国と比較すると我が国は大きく立ち遅れ ている.この遅れを克服するため,本学において もインターネットはもとより,最新のグラフィッ クス環境を駆使する能力とともに,創造的で能動 的な問題発見・解決・調整能力を備えた人材を早 急に育成する必要があること,(2)工学の様々な 分野において空間的・時間的に変化する問題や構 造を多次元的,多角的に捉え,それを的確にメデ ィアで表現でき活用できる創造性豊かな技術者や 研究者の育成が必要であること,(3)高度情報化 社会における教育基盤としての情報メディアの教 育研究体制の整備高度化を図るために,教育内 容・方法の改善及び情報環境の整備を図ること, 等である.具体的に教育内容,方法の改善を図る ため,近年の情報及びメディア活用の基礎教育に 加えて,メディアを活用した発信型の語学教育の 実施,更に各専門教育・大学院教育や教養教育で の情報メディアの導入と本学学生のメディア活用 におけるスキルアップを目標に,本センターでは, 様々な分野でのコンピュータによる仮想実験等を, 必要に応じてグラフィックスやビデオ・オン・デ マンドシステムを利用する環境を提供すると共に, 教育内容,方法の多様化・高度化を図るための支 援,推進を行う.そのための情報環境としては, 新たに情報メディア教育システムを導入し,先進 的な情報教育環境を提供する役割を担う.情報メ ディア教育システムでは,計算機環境,ネットワ ーク環境,グラフィックス・メディア環境といっ た立場から,設備の高度化を図るとともに,教育 の場としても,従来からのセンター演習室の他に, 語学メディア教室,3つのサテライト教室,学生 が自由利用を通じて自学自習を行うためのオープ ンスペースラボ,自宅からのリモートアクセス環 境等の整備を新たに行う.
情報メディア教育センターはセンター長の他,専 任教官としては,情報メディア部(教授1,助教 授1,助手2)と語学メディア部(教授1,助教 授1)の構成である.システムの運用管理を行 う技官2の他,事務官1は情報処理教育センター 時代と同じである.情報リテラシー教育や語学メ ディア教育を行うとともに,全学支援を行うセン ター専任スタッフとしては必ずしも十分な数とは 言えないが,新たな組織としてのセンターとして 心機一転して望むことが必要である.また,セン ター専任教官の他に,2名程度の兼任教官を配置 し,特に専門教育でのメディア活用を推進してい く体制をとるとともに,学内専門教育のためのサ テライト教室は,同時に3教室まで利用できるよ うシステムを設計し,相互に協力し運用していく こととなっている.平成13年3月に運用を開始す る予定の情報メディア教育システムは現在導入す るための手続きを行っている最中であるが,シス テムの基本的な構想は概ね以下のとおりである.
なお,センター長,専任教授及び各部局を代表す る教授から運営委員会を構成するとともに,情報 教育,言語教育,教養・専門教育,システム全体 の運用・管理,広報等に関する委員会を置き,当 面する課題を審議・調整することとなっている.
ご存知のように中部電力は,愛知・三重・岐阜・長 野・静岡(富士川以西)の中部5県を供給地域として います.名古屋工業大学卒業生は,現在約160名が在 籍し,各部署で活躍しています.
ここでは現在私が携わっている火力発電設備につ いてご紹介することとします.会社の概要は,ホーム ページ (http://www.chuden.co.jp/) 等をご覧ください.
火力設備は,総合熱効率の向上に努めてきており,近年コンバインサイクル発電設備等高効率設備の建設・運用開始により中部電力の総合熱効率は,1998年度は過去最高の約41%となり,電力 10 社の中で2年連続トップとなっています.
また,環境保全対策として,窒素酸化物,ばい じん,硫黄酸化物,石炭粉じん,各種排水,騒音 等への対策のほか,景観に調和するよう主要な建 物の外壁には三河湾に浮かぶヨットの白い帆をイ メージした青と白の配色をします.ちなみに,こ のデザインは,名古屋工業大学 社会開発工学科 若山 滋教授によるものです.
中部電力では,今後も周辺地域の環境保全のみ ならず,地球環境保全の観点から発電効率の向上 および環境保全対策に最高水準の技術を取入れて いくこととしています.
また,これまで電力会社はそれぞれの供給地域 のすべてのお客さまを対象に安定的かつ低廉な電 気の供給に努めてきました.2000年3月21日から 実施された電力部分自由化によって特別高圧で受 電されるお客さま(電気の使用規模が原則2,000k W以上,供給電圧2万V以上)は,供給者を自由 に選ぶことができるようになり,電気事業は本格 的な競争の時代に入りました.
このような変化の中で,中部電力は,引き続き 皆さまから選択され,評価していただき,競争時 代を勝ち抜き,成長・発展する強靱な企業であり 続けたいと考えています.
平成9年度からほぼ週に1回の頻度で大学に通 い始め,早くも3年経とうとしています.その間, 「会社の業務と密接に関連するものの,業務その ものとは異なる題材」を研究テーマとして選び, 理論的検討を中心にじっくりと研究することがで きました.普段,あわただしい業務に追われるな がらも,週1回,落ち着いた時間を確保できたこ の3年間は,長い人生の中でも貴重な期間であっ たことは間違いのないところです.
私の場合,名工大の博士前期課程を平成3年度 に修了し,5年経過してから,再度,社会人ドク ターの学生として博士課程に入学しています.会 社では,同僚との相対的な年齢差が変わることは ありませんが,大学の学生との年齢差は,毎年着 実に開いていきます.自分では,いつまでも学生 と変わらない気分でいても,若い学生諸君と話を するうちに,自分がそれなりに年をとっているこ とをひしひしと実感させられた3年間でした. また,在学中の大きな出来事として2棟から6 号館への移動がありました.2棟と6号館の両方 を経験できたということは貴重であったと考えて います.つまり,既に卒業されているたくさんの OBの方々と2棟の時代の話もできますし,一方で, これから入学し卒業していく後輩諸君と6号館の 話もできる,そんな少し得をしたような気がして います.
現在は,公聴会も終わり,ほっとしていますが, その反面,週に1回,会社業務を離れてじっくり と研究に取り組む時間がなくなってしまうことは 少し寂しい気がします.この4月から再び“純粋 な社会人”に戻ることになりますが,あわただし さに流されそうな時には,この3年間の記憶が役 に立つときもあるかと思います.
最後に,研究のテーマ設定および研究課程・方 針などの大部分を自主性に任せていただいた,稲 垣先生及び研究室の諸氏に感謝いたします.
昨年度の入試状況と就職状況は以下の通りです.
前期日程 | 後期日程 | ||
---|---|---|---|
推薦 | 一般 | 一般 | |
募集人員 | 30 | 110 | 30 |
志願者数 | 165 | 345 | 218 |
受験者数 | 165 | 333 | 127 |
合格者数 | 30 | 111 | 37 |
前期日程 | 後期日程 | |
---|---|---|
募集人員 | 50 | 10 |
志願者数 | 150 | 106 |
受験者数 | 145 | 47 |
合格者数 | 52 | 10 |
推薦 | 一般 | |||
---|---|---|---|---|
高卒 | 社会人 | 前期 | 後期 | |
募集人員 | 15 | 若干名 | 35 | 10 |
志願者数 | 19 | 13 | 106 | 95 |
受験者数 | 19 | 13 | 90 | 42 |
合格者数 | 15 | 8 | 35 | 14 |
電気情報 | 知能情報 | |
---|---|---|
募集人員 | 若干名 | 若干名 |
志願者数 | 8 | 6 |
受験者数 | 7 | 6 |
合格者数 | 3 | 1 |
電気情報 | 知能情報 | |||
---|---|---|---|---|
一部 | 二部 | 一部 | ||
一般 | 社会人 | |||
募集人員 | 若干名 | 若干名 | 若干名 | 若干名 |
志願者数 | 56 | 2 | 7 | 19 |
受験者数 | 52 | 2 | 7 | 16 |
合格者数 | 14 | 1 | 6 | 3 |
博士前期 | 博士後期 | |
---|---|---|
募集人員 | 58 | 6 |
志願者数 | 175 | 17 |
受験者数 | 169 | 15 |
合格者数 | 129 | 15 |
電気情報 | 知能情報 | ||||
---|---|---|---|---|---|
大学院 | 一部 | 二部 | 大学院 | 一部 | |
卒業者 | 69 | 213 | 45 | 21 | 62 |
進学者 | 8 | 99 | 2 | 4 | 24 |
研究生 | - | 6 | - | - | 3 |
一般企業 | 60 | 92 | 23 | 14 | 33 |
官公庁関係 | - | 2 | - | - | - |
教員 | - | - | - | - | - |
自営 | - | - | - | - | 1 |
未定者 | 1 | 13 | 13 | 3 | 1 |
以下の方々より寄付をいただきました.ご高配に厚く御礼申し上げます.
氏名 | 卒業年度 | 学科 |
---|---|---|
清水 弘 | 昭和 7 | 電気工学科 |
舘 和三郎 | 昭和 7 | 電気工学科 |
三船 修 | 昭和 7 | 電気工学科 |
福田 一江 | 昭和 8 | 電気工学科 |
尾山 純一 | 昭和 9 | 電気工学科 |
中村 弘 | 昭和 11 | 電気工学科 |
砂田 辰夫 | 昭和 12 | 電気工学科 |
匿名希望 | 昭和 12 | 電気工学科 |
井上 丈太郎 | 昭和 13 | 電気工学科 |
大原 栄 | 昭和 13 | 電気工学科 |
近藤 育温 | 昭和 13 | 電気工学科 |
西島 之 | 昭和 13 | 電気工学科 |
菊地 秀樹 | 昭和 14 | 電気工学科 |
鈴木 孝吉 | 昭和 14 | 電気工学科 |
谷山 次弘 | 昭和 14 | 電気工学科 |
蛭川 達雄 | 昭和 14 | 電気工学科 |
渡辺 実次 | 昭和 14 | 電気工学科 |
須賀 知之 | 昭和 15 | 電気工学科 |
野村 百一 | 昭和 15 | 電気工学科 |
石川 太郎 | 昭和 16 | 電気工学科 |
大塚 次郎 | 昭和 16 | 電気工学科 |
岡本 進午 | 昭和 16 | 電気工学科 |
上月 次良男 | 昭和 16 | 電気工学科 |
久保 稔 | 昭和 16 | 電気工学科 |
窪田 文雄 | 昭和 16 | 電気工学科 |
佐藤 正一 | 昭和 16 | 電気工学科 |
百瀬 澄長 | 昭和 16 | 電気工学科 |
秋山 渡 | 昭和 17 | 電気工学科 |
青木 保 | 昭和 18 | 電気工学科 |
久保田 繁夫 | 昭和 18 | 電気工学科 |
桜井 尚 | 昭和 18 | 電気工学科 |
芝辻 輝夫 | 昭和 18 | 電気工学科 |
永島 達雄 | 昭和 18 | 電気工学科 |
中村 正 | 昭和 18 | 電気工学科 |
原田 金三 | 昭和 18 | 電気工学科 |
本間 吉夫 | 昭和 18 | 電気工学科 |
前川 敏明 | 昭和 18 | 電気工学科 |
大場 勝 | 昭和 19 | 電気工学科 |
内藤 毅雄 | 昭和 19 | 電気工学科 |
三宅 正信 | 昭和 19 | 電気工学科 |
浅野 義夫 | 昭和 20 | 電気工学科 |
伊藤 博英 | 昭和 20 | 電気工学科 |
小野田 稔 | 昭和 20 | 電気工学科 |
加藤 桂 | 昭和 20 | 電気工学科 |
中野 彌喜雄 | 昭和 20 | 電気工学科 |
大野 徳衛 | 昭和 21 | 電気工学科 |
小林 一 | 昭和 21 | 電気工学科 |
石川 幸雄 | 昭和 22 | 電気工学科 |
伊藤 季彦 | 昭和 22 | 電気工学科 |
小出 照明 | 昭和 22 | 電気工学科 |
重松 梧郎 | 昭和 22 | 電気工学科 |
鈴木 行雄 | 昭和 22 | 電気工学科 |
中村 正雪 | 昭和 22 | 電気工学科 |
西川 清司 | 昭和 22 | 電気工学科 |
坂 昇 | 昭和 22 | 電気工学科 |
横井 吉彦 | 昭和 22 | 電気工学科 |
吉田 三雄 | 昭和 22 | 電気工学科 |
神谷 昭 | 昭和 23 | 電気工学科 |
熊崎 憲次 | 昭和 23 | 電気工学科 |
近藤 雅昭 | 昭和 23 | 電気工学科 |
武田 治男 | 昭和 23 | 電気工学科 |
田島 清良 | 昭和 23 | 電気工学科 |
辻 泰司 | 昭和 23 | 電気工学科 |
中島 昭一 | 昭和 23 | 電気工学科 |
中村 順 | 昭和 23 | 電気工学科 |
松下 昭 | 昭和 23 | 電気工学科 |
水谷 末一 | 昭和 23 | 電気工学科 |
分部 力 | 昭和 23 | 電気工学科 |
田中 督啓 | 昭和 24 | 電気工学科 |
泉舘 昭則 | 昭和 25 | 電気工学科 |
岩田 收平 | 昭和 25 | 電気工学科 |
後藤 正 | 昭和 25 | 電気工学科 |
澤田 幸之輔 | 昭和 25 | 電気工学科 |
白井 光雄 | 昭和 25 | 電気工学科 |
高田 栄一 | 昭和 25 | 電気工学科 |
野畑 昭夫 | 昭和 25 | 電気工学科 |
林 文雄 | 昭和 25 | 電気工学科 |
馬渕 昭五 | 昭和 25 | 電気工学科 |
伊藤 健男 | 昭和 26 | 電気工学科 |
伊藤 春光 | 昭和 26 | 電気工学科 |
奥村 士郎 | 昭和 26 | 電気工学科 |
加藤 正昭 | 昭和 26 | 電気工学科 |
岸 治 | 昭和 26 | 電気工学科 |
佐合 正夫 | 昭和 26 | 電気工学科 |
鈴木 桂三 | 昭和 26 | 電気工学科 |
原 行一 | 昭和 26 | 電気工学科 |
本田 春光 | 昭和 26 | 電気工学科 |
松原 英二 | 昭和 26 | 電気工学科 |
森 義信 | 昭和 26 | 電気工学科 |
吉野 毅 | 昭和 26 | 電気工学科 |
吉村 幸介 | 昭和 26 | 電気工学科 |
稲森 康之 | 昭和 28 | 電気工学科 |
犬飼 英吉 | 昭和 28 | 電気工学科 |
嶋田 宏 | 昭和 28 | 電気工学科 |
社本 一郎 | 昭和 28 | 電気工学科 |
中村 好郎 | 昭和 28 | 電気工学科 |
山田 新一 | 昭和 28 | 電気工学科 |
國島 尤 | 昭和 29 | 電気工学科 |
志賀 拡 | 昭和 29 | 電気工学科 |
七滝 健夫 | 昭和 29 | 電気工学科 |
都築 登 | 昭和 29 | 電気工学科 |
本田 哲三 | 昭和 29 | 電気工学科 |
石川 朝二 | 昭和 30 | 電気工学科 |
中條 栄夫 | 昭和 30 | 電気工学科 |
浅井 利夫 | 昭和 31 | 電気工学科 |
伊藤 親之 | 昭和 31 | 電気工学科 |
梅村 英三 | 昭和 31 | 電気工学科 |
倉田 怜 | 昭和 31 | 電気工学科 |
関村 芳郎 | 昭和 31 | 電気工学科 |
久保 仁 | 昭和 32 | 電気工学科 |
林 圭一 | 昭和 32 | 電気工学科 |
水谷 安郎 | 昭和 32 | 電気工学科 |
三輪 純一郎 | 昭和 32 | 電気工学科 |
守山 茂一郎 | 昭和 32 | 電気工学科 |
小川 朝男 | 昭和 33 | 電気工学科 |
金谷 嘉博 | 昭和 33 | 電気工学科 |
原田 晶廣 | 昭和 33 | 電気工学科 |
清水 政克 | 昭和 34 | 電気工学科 |
菱川 躬行 | 昭和 34 | 電気工学科 |
森島 茂樹 | 昭和 34 | 電気工学科 |
森田 幸和 | 昭和 34 | 電気工学科 |
梅野 正義 | 昭和 35 | 電気工学科 |
富田 安正 | 昭和 35 | 電気工学科 |
小田 征一郎 | 昭和 36 | 電気工学科 |
藤井 徹也 | 昭和 36 | 電気工学科 |
馬路 才智 | 昭和 36 | 電気工学科 |
金山 重夫 | 昭和 37 | 電気工学科 |
鬼頭 博明 | 昭和 37 | 電気工学科 |
久保村 徳太郎 | 昭和 37 | 電気工学科 |
高橋 宏一 | 昭和 37 | 電気工学科 |
田口 守彦 | 昭和 38 | 電気工学科 |
笠野 宏之 | 昭和 39 | 電気工学科 |
近藤 芳孝 | 昭和 38 | 電気工学科 |
高井 律男 | 昭和 39 | 電気工学科 |
毛利 博 | 昭和 39 | 電気工学科 |
小柳 徹夫 | 昭和 40 | 電気工学科 |
広瀬 泰正 | 昭和 40 | 電気工学科 |
稲葉 次紀 | 昭和 41 | 電気工学科 |
谷 辰夫 | 昭和 41 | 電気工学科 |
中村 光一 | 昭和 41 | 電気工学科 |
八島 武久 | 昭和 41 | 電気工学科 |
丹下 正彦 | 昭和 41 | 電子工学科 |
川島 征一郎 | 昭和 42 | 電気工学科 |
佐野 周造 | 昭和 42 | 電気工学科 |
林 和彦 | 昭和 42 | 電気工学科 |
阿江 努 | 昭和 42 | 電子工学科 |
重見 健一 | 昭和 43 | 電気工学科 |
萩本 範文 | 昭和 43 | 電気工学科 |
牧野 正俊 | 昭和 43 | 電子工学科 |
川島 孝雄 | 昭和 44 | 電気工学科 |
菅野 究二 | 昭和 44 | 電気工学科 |
松崎 誼 | 昭和 44 | 電気工学科 |
泉 勝俊 | 昭和 45 | 電気工学科 |
藤原 修 | 昭和 46 | 電子工学科 |
池田 敏行 | 昭和 47 | 電気工学科 |
蛭子 博志 | 昭和 47 | 電気工学科 |
鎌田 勝史 | 昭和 47 | 電気工学科 |
志垣 幹夫 | 昭和 47 | 電気工学科 |
大山 光男 | 昭和 47 | 電子工学科 |
武市 俊夫 | 昭和 48 | 電気工学科 |
米山 高志 | 昭和 48 | 電気工学科 |
北村 正 | 昭和 48 | 電子工学科 |
須藤 恭秀 | 昭和 48 | 電気工学科 |
中島 正敏 | 昭和 48 | 電子工学科 |
米谷 忠俊 | 昭和 48 | 電子工学科 |
広瀬 郷太郎 | 昭和 49 | 電気工学科 |
朝倉 吉隆 | 昭和 49 | 電子工学科 |
緒方 善郎 | 昭和 49 | 電子工学科 |
山下 修史 | 昭和 49 | 電子工学科 |
川出 和己 | 昭和 50 | 電気工学科 |
眞鍋 和人 | 昭和 50 | 電気工学科 |
山崎 信久 | 昭和 50 | 電子工学科 |
神谷 秀雄 | 昭和 51 | 電気工学科 |
高橋 健一 | 昭和 52 | 電気工学科 |
宮田 利明 | 昭和 52 | 電気工学科 |
山村 篤志 | 昭和 52 | 電気工学科 |
山中 清 | 昭和 52 | 情報工学科 |
東山 禎夫 | 昭和 53 | 電気工学科 |
杉浦 伸明 | 昭和 54 | 電気工学科 |
石橋 豊 | 昭和 56 | 情報工学科 |
安藤 幹人 | 昭和 57 | 電気工学科 |
曽我 哲夫 | 昭和 57 | 電気工学科 |
谷本 弘二 | 昭和 57 | 電気工学科 |
菊間 信良 | 昭和 57 | 電子工学科 |
松尾 啓志 | 昭和 58 | 情報工学科 |
徳田 恵一 | 昭和 59 | 電子工学科 |
平野 智 | 昭和 60 | 電子工学科 |
高石 一慶 | 昭和 61 | 電気工学科 |
小栗 宏次 | 昭和 62 | 電気工学科 |
犬塚 信博 | 昭和 62 | 情報工学科 |
林 宏明 | 平成 1 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
常川 勝弘 | 平成 3 | 電気工学科 |
川上 康子 | 平成 3 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
秋田 純二 | 平成 4 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
白石 哲也 | 平成 5 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
藤井 健一 | 平成 6 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
水野 陽子 | 平成 6 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
太田 幹也 | 平成 8 | 知能情報システム学科 |
水谷 匠 | 平成 8 | 知能情報システム学科 |
田中 美弘 | 平成 9 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
各務 一彦 | 平成 9 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
中井 完途 | 平成 9 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
森山 和久 | 平成 9 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
新年度が始まり,電影会関連の学科の担当も以下のようになりました.
永年お世話になりました.
詳細は こちら をご覧下さい.
電影会誌 8 号の記事を募集いたしますので,会員の皆様からの積極的なご投稿を電影会までお願いいたします.
最終更新 : 2006年 2月22日 (水) 19:57:18