昨年 6 月,国立大学の新しい方向の指導原理としての構造改革方針が,文部科学省から通称 「遠山プラン」 として示されました.その骨子は 3 点,すなわち,再編・統合,民間的手法の導入,競争原理の導入に要約されます.これらは,国立大学が安住の地位に甘んじて自己変革を怠り,時代の要請に必ずしも応えていない面があるとの認識にたっての現下の状況に対する警鐘と捉えることができましょう.
これに対する名古屋工業大学の対応は極めて迅速でした.既に遠山プランに先行すること1年,平成12 年度には,従来均等配分していた研究費の 10% を競争的研究資金とし,教官の提案応募に応じて外部の有識者を交えての審査を経て配分するルールを確立しておりました.年度を追ってその比率は 30% まで進めることになっており,その後,改めて見直しを図る事になっております.
また,同じ年には大学の重要事項を審議する各種委員会の構成の見直しを行い,9 つの常置委員会に整理すると共に,従来の最高決議機関であった助手を除く教授,助教授約 260 名で構成される教授会の審議を,教育研究の重要事項,教官の身分関連事項を除き,39 名で構成される代議員会に権限委譲することによって,審議過程の簡素化とスピードアップを実現しました.
さらに,平成 13 年度には学長の諮問に応じて本学の重要事項を検討する運営会議に,学外者 2 名を学長特別補佐としてお迎えしました.また,研究費の傾斜配分に続いて,研究室の面積割り当てにも競争的なルールが導入される事になり,有料のオープンラボラトリー制度が動き始めました.これらはどれも国立大学としては早い取り組みであったため色んな形で報道され,皆様のお目にもとまっていることと思います.
平成 14 年度に対しては,「ものづくりテクノセンター」,「留学生センター」 の設置と,2 万平米を超える建物の全面改修が認可されました.
遠山プランが提示された後,すぐに私どもは,本学はわが国の産業集積地に位置する工業系の大学として産学連携を基に特色ある教育とそれを支える研究活動を通じて次世代社会を先導していく責任がある,そのためには単独の工科系大学として将来も存続する必要がある,という本学の存置理由を産業界や文科省に訴えました.幸い,産業界からは即座に強い支持を頂き,昨年秋頃には文科省の大方のご理解を頂くところまで参りました.これも先輩諸氏の実業界でのご活躍の実績あってのことと、厚く感謝しております.
このような文科省,産業界のご理解を背景に,他大学との差別化を明確にするため,( 1 ) 産学連携を基軸にした教育・研究活動の展開,( 2 ) 講座,学科目に拘束されない自由な研究活動の場としての教官組織の一元化,( 3 ) 少子化や高度技術開発の要求に応えられる学部,大学院の再編整備,などを中心に平成 15 年度に向けての概算要求の交渉段階にあります.特に,昨今の大学院教育への期待に応えるべく,時代が変化しても変わらない部門としての基盤工学系部門,時代の変化を先導していく学際的・融合的な部門,さらに企業経験を持つ技術者のキャリアアップを図る部門等の制度整備を意欲的に実現しようと考えています.
皆様のご理解とご支援を得て,前例なき時代をさらに先取りしていくのが大学の使命と考えております.
平成 12 年 4 月に中村光一教授が共同研究センター長に就任すると同時に,センター助教授に着任し,平成 14 年 4 月までこの職で,産学連携事業のお手伝いをしてきました.共同研究センターは平成元年の設立以来,平成 8 年 3 月まで梅野正義先生,平成 9 年 4 月からは松井信行現副学長,そして,平成 12 年 4 月からは中村光一先生がセンター長を務められています.昨今,産官学連携の強化が求められる中,センターは本学の産学連携事業推進の中心的役割を果たしています.
中村センター長の下,共同研究件数を平成 13 年度 80 件,14 年度 100 件として活動を続け,地域企業様のご理解と各教官の努力により,平成 13 年度は 82 件の実績を達成しました.この内,電影会関連教官の件数は 48 件,全体の 59% を占めます (下表参照).
共同研究センターはこの 2 年間に,新たな産官学連携推進事業を開始しました.第一に,地元企業 200 社に参加頂いている名古屋工業大学研究協力会 (平成 12 年 11 月設立,会長:東邦テクノロジ 取締役会長 冨田和夫氏) と連携し,産学の交流と新産業の創出を目指した研究会を支援しています.現在 20 研究会 (内,7 つが電影会関連) が活動し,平成 13 年度中 36 回の集会が開かれました.第二に,産業界と大学内の双方に働きかけ,共同研究等を活性化させるリエゾニング活動を開始しました.そのため,学内の研究シーズの調査とそのデータベース化,冊子の刊行を行いました.また,企業の個別訪問,調査を続けています.第三に,大学院ベンチャー・ビジネスラ・ボラトリーと連携して本学の研究成果を一堂に発表する 「工学研究のフロンティア」 を開催しています.平成 13 年 11 月の第 3 回では 179 件の研究をポスターで発表しました.この他,講演会や交流会,セミナー等,大学に足を運んでいただく機会を提供しています.また,これらの活動や実績,行事をお知らせするホームページや刊行物等の充実を図っています.
共同研究センター役割は,こうした産学連携の推進事業の他,共同研究への設備等の提供,そして,科学技術相談があります.科学技術相談は企業様の研究開発上でお困りの課題を大学教官が無料でアドバイスをする仕組みで,共同研究等への進展を期待しています.上記活動によってセンターを知っていただく機会が増し,13 年度 200 件近いご相談を得,全学の教官が専門に応じて応えています.今後,地域産業界においても名古屋工業大学が十分な役割を果たすことができるよう,共同研究センターは活動してゆきます.ご支援をお願いします.
研究代表者 | 件数 | 相手先企業等 |
---|---|---|
松井 信行 | 16 | (株) キラ・コーポレーション,(株) ダイキン,(株) デンソー( 2 件),(株) トーエネック,(株) 近藤製作所,(株) 豊田自動織機製作所,(財) 名古屋産業科学研究所,CKD (株),TDK (株),オークマ (株),ダイキン工業 (株),トヨタ自動車 (株),三菱重工業 (株),三明電子産業 (株),富士機械製造 (株) |
江川 孝志 | 10 | サンケン電気 (株),沖電気工業 (株),岩崎電気 (株),(株) 三陽電機製作所,三菱電機 (株),三菱電線工業 (株),松下電器産業 (株),日本ガイシ (株),日本酸素 (株),日本電信電話 (株) |
曽我 哲夫 | 3 | (株) ニワショーセラム,(株) 三陽電機製作所,セキテクノトロン (株) |
佐藤 幸男 | 2 | 科学技術振興事業団,富士ゼロックス (株) |
神保 孝志 | 2 | (株) 生方製作所,宇宙開発事業団 |
中村 光一 | 2 | (株) トーエネック( 2 件) |
中嶋 堅志郎 | 2 | 三洋電機(株),日本特殊陶業(株) |
田坂 修二 | 2 | 三洋電機(株),中部電力(株) |
伊藤 英則 | 1 | シーキューブ(株) |
岩田 彰 | 1 | (株)シーティーアイ |
菊間 信良 | 1 | 日本テレコム(株) |
高橋 直久 | 1 | NTT未来ねっと研究所 |
松尾 啓志 | 1 | (株)シーティーアイ |
森田 良文 | 1 | 大同特殊鋼(株) |
中野 良平 | 1 | 日本電信電話(株) |
天野 敏之 | 1 | トヨタ自動車(株) |
平井 洋武 | 1 | 日立ビアメカニクス(株) |
この 4 月で,名工大に赴任して早一年になります.今までずっと東京で暮らし企業に勤めていた私にとって,名古屋の地で大学人として歩み始めたこの一年は,大きな変化の年であり,あっという間に過ぎてしまいました.「変化を楽しむ」 をモットーに,この地にやってまいりましたが,見るもの,聞くもの,食べるもの,大いに楽しむことができました.
1976 年に日本電信電話公社 (現 NTT) に入社し,以来 NTT 研究所で並列計算システム,ソフトウェア工学,コンピュータネットワークなどの研究開発に取り組んできました.このような研究に興味をもったのは,大学院に入学したころでした.その当時は,まだコンピュータは高価で,共同センターでの利用が主でしたが,私の指導教官が学科のミニコンピュータの運用責任者になったため自由に使えるようになりました.大学院では,その先生の指導のもとで,解読ツールを作ってOSのコードを隈無く調べ,並列システムとなるように拡張することに没頭しました.ソフトウェアの解析や並列システムの研究の楽しさを身をもって感じ,その後コンピュータの研究を生業とするきっかけになりました.
このような成行きを思い返しますと,導いていただいた先生に感謝するとともに,自分が今教える立場になって,その責任の重さに身が引き締る思いでいます.大学では,自らの研究に励みながら,研究室の学生には,最先端の技術に触れて次世代技術を予感できるような機会を多く作りたいと考えています.同時に,ブラックボックス化が進むなかで,徹底的に中まで追究して,その本質を探究できる環境を提供したいと思います.その中で,学生の知的好奇心を喚起し,自ら問題を発掘して解決する楽しさを感じてもらえればと思っています.
研究室では,Dreams Over Lightwaves をテーマに,これからのネットワーク化社会においてコンピュータとネットワークの技術がもたらす夢を描き,形にしていこうとしています.これらの技術は変化の激しい分野です.また幅の広い分野でもあります.若い元気な力を引き出しながら,学内外の多くの方々と協力して,大きな夢を描き,変化を楽しみたいと思います.
ご存知の如く,関西電力 (以下関電) は近畿一円 1 千 2 百万口のお客さまに日夜電気をご使用して頂き料金を頂く,電力供給を生業のコアとする会社です.私のセクションは一般に言う 「配電部門」 で電気のラストワンマイルを所管し,8 支店 (大阪北,大阪南,神戸,京都,奈良,滋賀,姫路) の中でも近畿の中枢を現在担当しています.
本投稿のはじめに恩師故岩住副学長のご冥福をお祈りいたしますとともに,紙面を借り勝手極まる私見を展開させて頂く事をお許し下さい.それでは,入社以来 14 年間私が勤める当社の 「配電部門」 の紹介と,近い将来における私の展望を述べさせて頂きます.(関電では大学OB会を 2 ~ 3 年に 1 度実施しており、会合には 20 名程度出席されております.)
H5年の組織改正に部門名に変更し,現在に至るまで所属している従業員も 「名」 の意味合いを実感していなかった節もありましたが,今日この意味合いは,現実の設備から実感できるようになりました(後述).「ネットワーク」 とはお客さまへの 「アクセスネットワーク」 を意味し,電力 (高圧線~メーターまでの電力設備) と通信 (配電線を監視,制御する通信設備) 更には将来のエネルギー多様化に必要なアクセス系設備を一貫して,構築,保守,運用する思いが込められています.アクセス系の代表設備としては,電柱,(地中) 管路,メーターであります.狭隘な国土,道路,住宅事情におけるインフラ占有空間の有効活用に鑑みますとアクセス系設備の統括は合理的であると思います.この結果,アクセス系にノウハウがある配電部門の職域が電気の枠から,エネルギーと通信複合ネットワークの一貫構築,運用保全に拡大しました.
国際的に遜色のない電気コスト達成のため,平成 9 年 5 月の経済構造の変革と創造のための行動計画が閣議決定され,特定規模需要(受電電圧 2 万V. 2 千 kW 以上) に対し,新規参入者 ( PPS: Power Produce & Supplier) が供給する事が可能となり,更には,発電と熱回収が可能な高性能 CGS (Co-Generation System) の進出,最近では長引く不況により総販売電力量は伸び悩み,他の産業同様本格的なターニングポイントを迎え,新規採用数の抑制,従業員の販売部門への配転,更には希望退職を積極的につのる等の状況に至っています.
不況による産業需要が低迷し,少子高齢化が進んでゆく国内のマーケットで,関電の施策は電気の安全、便利、クリーンの特性を活かし、一般のお客さまのご家庭での電気使用量を拡大すること、電気をコアとし情報通信、セキュリティー等の kwh プラスサービスを提供する事業への展開を進めています. (電気事業で必要なインフラを多目的に活用し、関係会社が関電ブランドでその他サービスを提供する) 本業の電力供給でも深夜電力を活用した電気温水器の推奨やリース,平日の夜間,土日デイタイムの電気料金が割安なハッピープランを導入しています.これはネットワーク技術部門が電力使用時間帯を n 分割して計量する低コスト電子メーターを開発し実現しました.また,このメーターに CPU と通信機能を組み込み,遠隔検針や遠隔開閉、屋内機器のロードサーベイ,制御等を目指した AIGIS (Advanced Intelligent Gate-keeper for Integrated Service) 構想も着実に進めています.特にヒットの兆しを見せているのが温水器と IH 調理器です ( 1 つ目の 「H」).電力安定供給に必要な開閉器制御や CB 接点情報把握,ロードサーベイに必要な通信線 (同軸,ペア,光) を多目的に利用して,ブロードバンド時代の最終兵器としてグループ会社が FTTH (Fiber To The Home) を平成 14 年度 4 月からサービス開始します ( 2 つ目の 「 H 」).
このインフラ構築,保守運用技術は配電線総合自動化を推進してきたネットワーク技術部門の基礎技術が支えています. (詳しくは当社HP http://www.kepco.co.jp をご覧ください)
電気温水器、IH 調理器を採用した ALL 電化ハウス、FTTH による高速ブロードバンドが近い将来身近な存在になると思います.ラストワンマイルの技術から派生した 2 つの「 H 」と,次に現れる 「 H 」 が電力会社の将来を左右すると思います. (燃料電池の水素か?,ケア or 癒やしビジネスか?・・)
驚異にさらされ、国内は空洞化する危機に瀕していると言われています.しかし次の 「 H 」 を探す原動力は日本人の技術そのものであり,日本人こそエネルギーの多様化や情報通信の高度化に器用さ,繊細な感性を武器に対応できると思います.
言うまでも無く、技術革新の原動力は人 (Human) です.電力会社の技術は新技術を応用し、お客さまや既設設備にマッチングさせてゆく適用技術です.いくら高性能でも採算性や耐候性に乏しく又は,お客さまの使い勝手が悪い機材は採用できません.全ては電力会社の私も含めた技術者や営業窓口スタッフ等のお客さまの潜在ニーズを知る 「人」 の感性が一層大切になると思います.
私の故郷―中国の大同市は日本の大牟田市と姉妹都市です.去年は,ちょうど二十周年を迎えて,その祝いとして,7 月に,大同市から 「龍」 を舞う代表団が大牟田市に参りまして,大牟田市の伝統的な 「大蛇舞い」 と一緒に舞いました.
中国では,お正月など盛大の祝う場面に 「龍」 を舞うのが欠かせないですが,大牟田市の 「大蛇舞い」 も一年の夏祭りに一度出すしかないと言われました.
わたしは大同からの留学生として,日本の友達に誘われて,名古屋から新幹線で大牟田市へ参りまして,二十周年の祝いに参加しました.初めての大牟田市なので,ちょっとあっちこっちに行ってみたい気持ちでした.友達の案内によって,まず石炭博物館の見学に行って,大牟田市の石炭形成と掘り方など,アニメーションから詳しく説明をしてもらいました.そして,どきどきして模擬石炭を採る操作も体験できました.
夕方ごろ,町中祝いの盛大な場面がよく見えるように,私達は少し高い観覧台に登りまして,上から見た大牟田の町は素晴らしい夜景でした.出演している若者は皆浴衣のまま,グループによって自分で作った大蛇車を町中に出しながら,花火を大蛇の口から噴射させました.大蛇車周りの人は一緒に歌を歌ったり踊ったりしまして,花火の光の中,若者が 「龍」 や 「大蛇」などを一緒に踊っていた町は,夏祭りの最高な雰囲気だと思います.残念なことに,その夜は,私も下りて踊りに行きたかったが,迷子にならないように,我慢して行きませんでした.でも,今度の旅は本当に良い思い出になると思っています.
昨年度の入試状況と就職状況は以下の通りです.
前期日程 | 後期日程 | ||
---|---|---|---|
推薦 | 一般 | 一般 | |
募集人員 | 30 | 110 | 30 |
志願者数 | 97 | 329 | 130 |
受験者数 | 97 | 300 | 65 |
合格者数 | 30 | 113 | 38 |
前期日程 | 後期日程 | |
---|---|---|
募集人員 | 50 | 10 |
志願者数 | 130 | 56 |
受験者数 | 128 | 29 |
合格者数 | 51 | 10 |
推薦 | 一般 | |||
---|---|---|---|---|
高卒 | 社会人 | 前期 | 後期 | |
募集人員 | 15 | 若干名 | 35 | 10 |
志願者数 | 25 | 12 | 115 | 58 |
受験者数 | 24 | 12 | 110 | 30 |
合格者数 | 16 | 9 | 35 | 10 |
電気情報 | 知能情報 | |
---|---|---|
募集人員 | 若干名 | 若干名 |
志願者数 | 12 | 14 |
受験者数 | 12 | 14 |
合格者数 | 5 | 1 |
電気情報 | 知能情報 | |||
---|---|---|---|---|
一部 | 二部 | 一部 | ||
一般 | 社会人 | |||
募集人員 | 若干名 | 若干名 | 若干名 | 若干名 |
志願者数 | 44 | 1 | 5 | 14 |
受験者数 | 43 | 1 | 5 | 14 |
合格者数 | 21 | 0 | 3 | 3 |
博士前期 | 博士後期 | |
---|---|---|
募集人員 | 58 | 6 |
志願者数 | 161 | 11 |
受験者数 | 153 | 11 |
合格者数 | 119 | 10 |
電気情報 | 知能情報 | ||||
---|---|---|---|---|---|
大学院 | 一部 | 二部 | 大学院 | 一部 | |
卒業者 | 100 | 174 | 40 | 21 | 57 |
進学者 | 2 | 98 | 3 | 3 | 33 |
研究生 | - | 4 | 2 | - | - |
一般企業 | 86 | 65 | 26 | 17 | 20 |
官公庁関係 | 1 | 2 | 2 | - | - |
教員 | - | - | 2 | - | - |
自営 | - | - | - | - | - |
未定者 | 11 | 5 | 5 | 1 | 1 |
その他 | - | - | - | - | - |
- 就職担当教授の談話
- OBの皆様からの多大なご協力の下,上記のような優秀な就職状況が実現できております.今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます.
以下の方々より寄付をいただきました.ご高配に厚く御礼申し上げます.
氏名 | 卒業年度 | 学科 |
---|---|---|
清水 達英 | 昭和 7 | 電気工学科 |
清水 弘 | 昭和 7 | 電気工学科 |
三船 修 | 昭和 7 | 電気工学科 |
柳澤 祐雄 | 昭和 7 | 電気工学科 |
倉地 孝 | 昭和 9 | 電気工学科 |
宮下 勲 | 昭和 10 | 電気工学科 |
渡辺 謙 | 昭和 10 | 電気工学科 |
中村 弘 | 昭和 11 | 電気工学科 |
山田 釣 | 昭和 12 | 電気工学科 |
吉野 敏夫 | 昭和 12 | 電気工学科 |
匿名希望 | 昭和 12 | 電気工学科 |
井上 丈太郎 | 昭和 13 | 電気工学科 |
大原 栄 | 昭和 13 | 電気工学科 |
近藤 育温 | 昭和 13 | 電気工学科 |
菊地 秀樹 | 昭和 14 | 電気工学科 |
多田 良之 | 昭和 14 | 電気工学科 |
谷山 次弘 | 昭和 14 | 電気工学科 |
渡辺 実次 | 昭和 14 | 電気工学科 |
奥田 滋 | 昭和 15 | 電気工学科 |
阿部 勝美 | 昭和 16 | 電気工学科 |
石川 太郎 | 昭和 16 | 電気工学科 |
井上 順弘 | 昭和 16 | 電気工学科 |
大塚 次郎 | 昭和 16 | 電気工学科 |
岡本 進午 | 昭和 16 | 電気工学科 |
窪田 文雄 | 昭和 16 | 電気工学科 |
佐々木 茂 | 昭和 16 | 電気工学科 |
佐藤 正一 | 昭和 16 | 電気工学科 |
清水 良夫 | 昭和 16 | 電気工学科 |
杉山 貞夫 | 昭和 16 | 電気工学科 |
辻 良男 | 昭和 16 | 電気工学科 |
中村 智善 | 昭和 16 | 電気工学科 |
服部 念 | 昭和 16 | 電気工学科 |
安井 不美男 | 昭和 16 | 電気工学科 |
山田 久 | 昭和 16 | 電気工学科 |
石田 喬力 | 昭和 17 | 電気工学科 |
大橋 保 | 昭和 17 | 電気工学科 |
小林 修 | 昭和 17 | 電気工学科 |
近藤 守信 | 昭和 17 | 電気工学科 |
山本 富男 | 昭和 17 | 電気工学科 |
青木 保 | 昭和 18 | 電気工学科 |
久保 利道 | 昭和 18 | 電気工学科 |
桜井 尚 | 昭和 18 | 電気工学科 |
芝辻 輝夫 | 昭和 18 | 電気工学科 |
中村 正 | 昭和 18 | 電気工学科 |
加納 鉚 | 昭和 19 | 電気工学科 |
竹内 日英一 | 昭和 19 | 電気工学科 |
内藤 毅雄 | 昭和 19 | 電気工学科 |
三宅 正信 | 昭和 19 | 電気工学科 |
浅野 義夫 | 昭和 20 | 電気工学科 |
伊藤 博英 | 昭和 20 | 電気工学科 |
小野田 稔 | 昭和 20 | 電気工学科 |
小林 修 | 昭和 20 | 電気工学科 |
近藤 政俊 | 昭和 20 | 電気工学科 |
中野 彌喜雄 | 昭和 20 | 電気工学科 |
丹羽 一郎 | 昭和 20 | 電気工学科 |
若杉 元男 | 昭和 20 | 電気工学科 |
伊藤 光芳 | 昭和 21 | 電気工学科 |
大野 徳衛 | 昭和 21 | 電気工学科 |
小林 一 | 昭和 21 | 電気工学科 |
市川 儀男 | 昭和 22 | 電気工学科 |
伊藤 季彦 | 昭和 22 | 電気工学科 |
岩田 悟 | 昭和 22 | 電気工学科 |
臼杵 謙治 | 昭和 22 | 電気工学科 |
大橋 一雄 | 昭和 22 | 電気工学科 |
小出 照明 | 昭和 22 | 電気工学科 |
佐藤 和夫 | 昭和 22 | 電気工学科 |
重松 梧郎 | 昭和 22 | 電気工学科 |
玉田 博二 | 昭和 22 | 電気工学科 |
中村 正雪 | 昭和 22 | 電気工学科 |
原口 泰三 | 昭和 22 | 電気工学科 |
古田 貞義 | 昭和 22 | 電気工学科 |
伊藤 典之 | 昭和 23 | 電気工学科 |
太田 順三 | 昭和 23 | 電気工学科 |
木元 鋭彦 | 昭和 23 | 電気工学科 |
熊崎 憲次 | 昭和 23 | 電気工学科 |
後藤 眞太郎 | 昭和 23 | 電気工学科 |
坂野 昭夫 | 昭和 23 | 電気工学科 |
鈴木 昭三 | 昭和 23 | 電気工学科 |
竹内 節 | 昭和 23 | 電気工学科 |
武田 治男 | 昭和 23 | 電気工学科 |
田島 清良 | 昭和 23 | 電気工学科 |
田中 三男 | 昭和 23 | 電気工学科 |
永井 秀夫 | 昭和 23 | 電気工学科 |
古川 氏典 | 昭和 23 | 電気工学科 |
堀 彦兵 | 昭和 23 | 電気工学科 |
水谷 末一 | 昭和 23 | 電気工学科 |
佐々木 弘之 | 昭和 24 | 電気工学科 |
田中 督啓 | 昭和 24 | 電気工学科 |
藤原 昭二 | 昭和 24 | 電気工学科 |
真弓 箭一 | 昭和 24 | 電気工学科 |
泉舘 昭則 | 昭和 25 | 電気工学科 |
荻野 孝 | 昭和 25 | 電気工学科 |
梶浦 孝一 | 昭和 25 | 電気工学科 |
加藤 裕 | 昭和 25 | 電気工学科 |
後藤 正 | 昭和 25 | 電気工学科 |
澤田 幸之輔 | 昭和 25 | 電気工学科 |
白井 光雄 | 昭和 25 | 電気工学科 |
中村 正夫 | 昭和 25 | 電気工学科 |
古山 博典 | 昭和 25 | 電気工学科 |
間瀬 卓夫 | 昭和 25 | 電気工学科 |
雨宮 治夫 | 昭和 26 | 電気工学科 |
伊藤 健男 | 昭和 26 | 電気工学科 |
伊藤 春光 | 昭和 26 | 電気工学科 |
岩下 湛光 | 昭和 26 | 電気工学科 |
奥村 義正 | 昭和 26 | 電気工学科 |
小澤 智士 | 昭和 26 | 電気工学科 |
押田 安成 | 昭和 26 | 電気工学科 |
加藤 正昭 | 昭和 26 | 電気工学科 |
兼子 共明 | 昭和 26 | 電気工学科 |
岸 治 | 昭和 26 | 電気工学科 |
小林 繁利 | 昭和 26 | 電気工学科 |
鈴木 桂三 | 昭和 26 | 電気工学科 |
寺田 勇 | 昭和 26 | 電気工学科 |
成田 勇夫 | 昭和 26 | 電気工学科 |
久富 道和 | 昭和 26 | 電気工学科 |
福井 啓朗 | 昭和 26 | 電気工学科 |
本田 春光 | 昭和 26 | 電気工学科 |
松永 明 | 昭和 26 | 電気工学科 |
渡邊 辰巳 | 昭和 26 | 電気工学科 |
安達 俊雄 | 昭和 28 | 電気工学科 |
稲森 康之 | 昭和 28 | 電気工学科 |
犬飼 英吉 | 昭和 28 | 電気工学科 |
社本 一郎 | 昭和 28 | 電気工学科 |
高橋 久男 | 昭和 28 | 電気工学科 |
中村 好郎 | 昭和 28 | 電気工学科 |
山田 新一 | 昭和 28 | 電気工学科 |
山田 速水 | 昭和 28 | 電気工学科 |
國島 尤 | 昭和 29 | 電気工学科 |
志賀 拡 | 昭和 29 | 電気工学科 |
七滝 健夫 | 昭和 29 | 電気工学科 |
廣瀬 皓二 | 昭和 29 | 電気工学科 |
本田 哲三 | 昭和 29 | 電気工学科 |
山口 亘 | 昭和 29 | 電気工学科 |
匿名希望 | 昭和 29 | 電気工学科 |
石川 朝二 | 昭和 30 | 電気工学科 |
内田 忠良 | 昭和 30 | 電気工学科 |
加納 俊明 | 昭和 30 | 電気工学科 |
塚本 修 | 昭和 30 | 電気工学科 |
中條 栄夫 | 昭和 30 | 電気工学科 |
水谷 晃 | 昭和 30 | 電気工学科 |
浅井 利夫 | 昭和 31 | 電気工学科 |
伊藤 親之 | 昭和 31 | 電気工学科 |
梅村 英三 | 昭和 31 | 電気工学科 |
大嶋 光朗 | 昭和 31 | 電気工学科 |
倉田 怜 | 昭和 31 | 電気工学科 |
辻村 尚明 | 昭和 31 | 電気工学科 |
三ツ石 喜郎 | 昭和 31 | 電気工学科 |
新剛 実 | 昭和 32 | 電気工学科 |
岡野 修 | 昭和 32 | 電気工学科 |
久保 仁 | 昭和 32 | 電気工学科 |
水谷 安郎 | 昭和 32 | 電気工学科 |
三輪 純一郎 | 昭和 32 | 電気工学科 |
守山 茂一郎 | 昭和 32 | 電気工学科 |
荒井 英二 | 昭和 33 | 電気工学科 |
石川 二朗 | 昭和 33 | 電気工学科 |
伊藤 正秋 | 昭和 33 | 電気工学科 |
加藤 輝彦 | 昭和 33 | 電気工学科 |
金谷 嘉博 | 昭和 33 | 電気工学科 |
高橋 等 | 昭和 33 | 電気工学科 |
辻本 光志 | 昭和 33 | 電気工学科 |
野村 圭作 | 昭和 33 | 電気工学科 |
兵藤 隆 | 昭和 33 | 電気工学科 |
藤田 正浩 | 昭和 33 | 電気工学科 |
前島 一雄 | 昭和 33 | 電気工学科 |
岡田 明義 | 昭和 34 | 電気工学科 |
草野 洋 | 昭和 34 | 電気工学科 |
藤井 寿崇 | 昭和 34 | 電気工学科 |
松田 功 | 昭和 34 | 電気工学科 |
森島 茂樹 | 昭和 34 | 電気工学科 |
山崎 善太郎 | 昭和 34 | 電気工学科 |
行本 貞夫 | 昭和 34 | 電気工学科 |
岡田 昌孝 | 昭和 35 | 電気工学科 |
岡野 達夫 | 昭和 35 | 電気工学科 |
片岡 省三 | 昭和 35 | 電気工学科 |
辻本 治 | 昭和 35 | 電気工学科 |
西川 廣信 | 昭和 35 | 電気工学科 |
廣瀬 久城 | 昭和 35 | 電気工学科 |
三浦 允之 | 昭和 35 | 電気工学科 |
小田 征一郎 | 昭和 36 | 電気工学科 |
神谷 昌宏 | 昭和 36 | 電気工学科 |
五月女 久郎 | 昭和 36 | 電気工学科 |
堤 格士 | 昭和 36 | 電気工学科 |
西村 秀夫 | 昭和 36 | 電気工学科 |
馬路 才智 | 昭和 36 | 電気工学科 |
森 克彦 | 昭和 36 | 電気工学科 |
金山 重夫 | 昭和 37 | 電気工学科 |
久保村 徳太郎 | 昭和 37 | 電気工学科 |
土居 秀行 | 昭和 37 | 電気工学科 |
野田 昭 | 昭和 37 | 電気工学科 |
水谷 欽弥 | 昭和 37 | 電気工学科 |
中司 修慈 | 昭和 38 | 電気工学科 |
笠井 大二郎 | 昭和 39 | 電気工学科 |
鴨下 功 | 昭和 39 | 電気工学科 |
高井 律男 | 昭和 39 | 電気工学科 |
武冨 喜八郎 | 昭和 39 | 電気工学科 |
田村 英也 | 昭和 39 | 電気工学科 |
津崎 芳三 | 昭和 39 | 電気工学科 |
水澤 健一 | 昭和 39 | 電気工学科 |
毛利 博 | 昭和 39 | 電気工学科 |
山本 俊伸 | 昭和 39 | 電気工学科 |
吉田 嶽彦 | 昭和 39 | 電気工学科 |
小柳 徹夫 | 昭和 40 | 電気工学科 |
田島 完示 | 昭和 40 | 電気工学科 |
渡辺 明生 | 昭和 40 | 電気工学科 |
石丸 隆英 | 昭和 41 | 電気工学科 |
稲葉 次紀 | 昭和 41 | 電気工学科 |
阪本 安司 | 昭和 41 | 電気工学科 |
武井 恵一 | 昭和 41 | 電気工学科 |
谷 辰夫 | 昭和 41 | 電気工学科 |
都留 之舒 | 昭和 41 | 電気工学科 |
早川 晟 | 昭和 41 | 電気工学科 |
前越 久 | 昭和 41 | 電気工学科 |
松井 信行 | 昭和 41 | 電気工学科 |
吉田 征史 | 昭和 41 | 電気工学科 |
丹下 正彦 | 昭和 41 | 電子工学科 |
川島 征一郎 | 昭和 42 | 電気工学科 |
小島 一男 | 昭和 42 | 電気工学科 |
佐野 周造 | 昭和 42 | 電気工学科 |
吉村 洋典 | 昭和 42 | 電気工学科 |
佐々木 春生 | 昭和 43 | 電気工学科 |
重見 健一 | 昭和 43 | 電気工学科 |
高橋 俊之 | 昭和 43 | 電気工学科 |
牧野 正俊 | 昭和 43 | 電子工学科 |
加藤 友康 | 昭和 45 | 電気工学科 |
神本 勝巳 | 昭和 45 | 電気工学科 |
野口 義廣 | 昭和 45 | 電気工学科 |
松山 正昭 | 昭和 45 | 電気工学科 |
松村 好高 | 昭和 45 | 電子工学科 |
沖 靖彦 | 昭和 46 | 電気工学科 |
蛭子 博志 | 昭和 47 | 電気工学科 |
大山 光男 | 昭和 47 | 電子工学科 |
榎本 孝義 | 昭和 48 | 電気工学科 |
田中 裕一 | 昭和 48 | 電気工学科 |
三木 敏裕 | 昭和 48 | 電気工学科 |
米山 高志 | 昭和 48 | 電気工学科 |
北村 正 | 昭和 48 | 電子工学科 |
甲田 有男 | 昭和 48 | 電子工学科 |
米谷 忠俊 | 昭和 48 | 電子工学科 |
朝倉 吉隆 | 昭和 49 | 電子工学科 |
荻原 義也 | 昭和 50 | 電気工学科 |
川端 康己 | 昭和 50 | 電気工学科 |
眞鍋 和人 | 昭和 50 | 電気工学科 |
西元 俊彦 | 昭和 50 | 電子工学科 |
浜岡 重男 | 昭和 50 | 電子工学科 |
平野 博史 | 昭和 51 | 電気工学科 |
宮田 利明 | 昭和 52 | 電気工学科 |
片岡 良平 | 昭和 54 | 電気工学科 |
長崎 高帆 | 昭和 54 | 電気工学科 |
吉田 誠治 | 昭和 54 | 電気工学科 |
大城 正 | 昭和 54 | 電子工学科 |
村上 仁志 | 昭和 54 | 電子工学科 |
江川 孝志 | 昭和 55 | 電子工学科 |
石橋 豊 | 昭和 56 | 情報工学科 |
荻原 秀和 | 昭和 56 | 情報工学科 |
安藤 幹人 | 昭和 57 | 電気工学科 |
竹下 隆晴 | 昭和 57 | 電気工学科 |
野口 敏彦 | 昭和 57 | 電気工学科 |
菊間 信良 | 昭和 57 | 電子工学科 |
内匠 逸 | 昭和 57 | 電子工学科 |
丸山 敏彦 | 昭和 57 | 情報工学科 |
松尾 啓志 | 昭和 58 | 情報工学科 |
平野 智 | 昭和 60 | 電子工学科 |
深谷 和義 | 昭和 60 | 情報工学科 |
高石 一慶 | 昭和 61 | 電気工学科 |
山田 正樹 | 昭和 62 | 電子工学科 |
吉戸 真治 | 昭和 62 | 電子工学科 |
林 宏明 | 平成 1 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
谷口 一哉 | 平成 3 | 電気情報工学科 (電気・電子) |
晦日 善行 | 平成 5 | 電気情報工学科 (電気・電子) |
岩田 健一 | 平成 6 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
小坂 卓 | 平成 6 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
村重 和寿 | 平成 7 | 電気情報工学科 (電気・電子) |
橋本 敏彦 | 平成 8 | 電気情報工学科 (電気・電子) |
後藤 富朗 | 平成 8 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
岡部 聡志 | 平成 9 | 電気情報工学科 (電気・電子) |
竹澤 誠 | 平成 9 | 電気情報工学科 (電気・電子) |
石川 博康 | 平成 10 | 電気情報工学科 (電気・電子) |
新年度が始まり,電影会関連の学科の担当も以下のようになりました.
永年お世話になりました.
ここに謹んで哀悼の意を表します.
最終更新 : 2006年 2月22日 (水) 19:57:18