本学は 「ひとづくり,ものづくり,未来づくり」 の理念にもとづき, 「工科大学構想」 を推進しています.2000年11月,柳田博明学長の就任以降,本学では数々の改革を実行しており,全国の国立大学の中で大学改革のトップランナーであると言っても過言ではありません.
改革の中での最も核心的なことは,2003年4月から「領域」と称する教官組織を大学院に置くことであり,この結果,ほとんど全ての教官が大学院工学研究科の教官となります.領域は 「おもひ」「しくみ」「つくり」「ながれ」 の 4 つで構成され,全学の教官が所属・参加します.各領域はそれぞれ全ての専門分野の教官で構成され,学科や専攻にとらわれない横断的な組織です.すべての教官は一つの領域に属しながら,教育類 (学科)・専攻に出向して教育を担当することになります.
領域では,従来の学科や講座にとらわれることなく,分野横断的な研究グループを自由に形成できる環境の中で,今後社会から最も必要とされる学際的研究プロジェクトを推進することを目指します.
同時に,大学院を 6 専攻に再編整備します.すなわち,基盤専攻として,「物質工学専攻」「機能工学専攻」「情報工学専攻」「社会工学専攻」 をおき,独立専攻として 「産業戦略工学専攻」「都市循環システム工学専攻 (既存)」 を設置し,入学定員も増員して,充実を図ります.
産業戦略工学専攻は,テクノビジネススクールとして設置するもので,工学技術とマネージメントの能力を兼ね備えた人材を育成し,新規産業創生に資することを目指すものです.ここでは,社会人枠を設け,修了年限を 1 年とし,修士論文に替えてリサーチペーパーをもって,修士学位を取得できるコースを開設します.将来は本専攻に博士後期課程を設置することで,工学分野における職業大学院も視野に入れています.
学部教育については,社会や高校生から見て分かり易い大学科構成とし,その中に専門内容を教育する複数の教育課程を設置する方向で検討を行っているところです.さらに,工学を基軸とする全人教育のための教育カリキュラムを整備します.
この他に,従来均等配分していた学内教育研究経費のうち 30% を競争的獲得研究資金とすることや,領域設置に伴ってほぼ全額を申請・審査ベースで教官個人に配分することとしました.
2004年 4月からの国立大学法人化を控え,本学は,特に 2005年には創立 100 周年を迎えます.こうした一連の改革を通して,本学における教育研究の一層の質の向上とさらなる活性化を図り,国立大学を取り巻く様々な諸課題を乗り越え,競争的環境の中で,個性輝く大学を目指しています.
なお,私はこれまで 27 年間,本学の情報工学科,電気情報工学科の教官として勤め,2002年11月から,松井信行先生の後任として副学長に就任しています.今後とも,大学改革について,皆様のご理解と更なるご支援をお願いする次第です.
マイケルソン-モーリーは我々の空間は絶対静止で,光の仮想伝播媒体としてのエーテルが,この空間に充満しており,彼等の実験装置はこのエーテル中を直進し,装置の進行方向と垂直方向に伝播する光の時間差からエーテルの存在を証明しようとしたが,実験結果はその存在を否定した.
そこでローレンツはこの実験に関連して,エーテルの存在,即ち光速度一定を肯定する為に,彼の名で呼ばれる収縮,即ち相対速度を持って並進する二つの慣性系で,一方の慣性系から他の慣性系を観測すると,他の慣性系の物体の長さはその進行方向に,一定の割合で収縮すると主張した.(この収縮は,後日彼自身これを否定していると云われている)
アインシュタインはこのローレンツの収縮を前提として,有名な特殊相対性理論を組み立てた.けれどもこの理論は双子や車庫のパラドックス等と呼ばれる,種々の我々の常識では理解困難な問題を残すことになり,理論の発表後100年にもなろうとするのに,今日までこの理論はジャーナリズムの話題にはなるが,この方面の学者に真に理解されているとは思えない.
現在,学会では光(電磁波)の速度は,真空の透磁率と誘電率によって定義されており,光は真空中をエーテルを必要とせずに伝播可能であり,物理学の要請として公知の「各慣性系において,物理学の法則は慣性系間の相対速度に無関係に同じ形で現される」とすれば,これだけで,マイケルソン-モーリーの実験の説明は可能となり,特別な知識は不必要と筆者は考える.
光についてはアインシュタインも最後まで疑問を持っていた為か,ある著書に彼の死の4年前の1951年に次のような言葉を残していると云う.
『五十年にわたって意識的に考えて来たが「光とは何か」という問の答に少しも近付いていない.勿論恥知らずの連中は皆答を知っているつもりでいるが,それは自分を欺いているのだ』
筆者もこれが彼の本心だと思うが,何れにしろ我々は光について未だ十分な知識を持っていず,研究の対象であると考える.
以上
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平成12年 4月 1日に共同研究センターに就任して以来,ほぼ 3 年となります.この間,民間との共同研究数は,平成12 年度 55 件 (国立大学中 25 位),13 年度 86 件 (20 位),14 年度 124 件 (1月10日現在) と順調に伸びてきました.これも,先生方が民間企業の技術ニーズにマッチした魅力ある研究テーマを提供している結果であると喜んでいます.今後,本学の理念からしても産学連携は─すます活発になることが予想され,共同研究件数も金額も比例して伸びるものと期待しています.電影会関連教官の件数は,平成14 年度 55 件と全体の 44.4% を占めています (表参照).
共同研究センターの産学連携活動として,以下の活動があります.
共同研究センターは 「行きやすい,わかりやすい,ためになる,さすが」 をモットーに十分な役割を果たすべく活動していきますので,ご協力支援をお願いします.
研究代表者 | 件数 | 相手先企業等 |
---|---|---|
松井 信行 | 13 | 東芝シュネデール・インバータ(株),オークマ(株),三菱重工業(株),トヨタ自動車(株)(2 件),富士機械製造(株),(株)デンソー(3 件),(株)豊田自動織機製作所,(株)ナ・デックス,新東ブレーター(株),松下冷機(株) |
江川 孝志 | 12 | 日本ガイシ(株)(2 件),レシップ(株),沖電気工業(株),サンケン電気(株),三菱電機(株),日本酸素(株),日本電信電話(株),岩崎電気(株),三菱電線工業(株),松下電器産業(株),アネルバ(株) |
岩田 彰 | 3 | (株)デンソー,(株)シーティーアイ,鳥取三洋電機(株) |
曽我 哲夫 | 3 | セキテクノトロン(株),(株)ニワショーセラム,レシップ(株) |
中村 光一 | 3 | (株)トーエネック(2 件),三機工業(株) |
中野 良平 | 2 | 日本電信電話(株),(株)プロトコーポレーション |
高橋 直久 | 2 | NTT未来ねっと研究所,(財)ソフトピアジャパン |
田坂 修二 | 2 | 三洋電機(株),(財)ソフトピアジャパン |
平井 洋武 | 2 | 日立ビアメカニクス(株),(株)富士電機総合研究所 |
神保 孝志 | 2 | (株)生方製作所,宇宙開発事業団 |
水野 幸男 | 1 | 河村電器産業(株) |
中嶋堅志郎 | 1 | 日本特殊陶業(株) |
森田 良文 | 1 | 大同特殊鋼(株) |
佐藤 幸男 | 1 | 科学技術振興事業団 |
天野 敏之 | 1 | トヨタ自動車(株) |
市村 正也 | 1 | (株)コベルコ科研 |
藤原 修 | 1 | 中部電力(株) |
佐藤 淳 | 1 | アイシン精機(株) |
徳田 恵一 | 1 | (株)豊田中央研究所 |
内匠 逸 | 1 | (株)ディー・ディー・エス |
菊間 信良 | 1 | 日本テレコム(株) |
伊藤 英則 | 1 | (株)イーストサイト |
本年度は,電気情報工学科と知能情報システム学科から稲垣直樹教授,早原悦朗教授,石井直宏教授が定年退職されます.長い間,本当にご苦労さまでした.このコーナーでは,稲垣先生と石井先生からお声をいただいております.また,早原先生は,本学同窓会誌 「ごきそ」 の方に寄稿されていますので,そちらの方もご覧下さい.
私のオフィスの電話番号は下 2 桁が 16 です.これはダイレクトインに変わった平成 7年に学科教授の年齢順に決めたもので,当時一番の年長者だった岩住先生が 07 でしたから私は 10 番目でありました.それから僅か 7 年の間に偉大な諸先輩が次々に退官され,ついに私が定年を迎える順番になりました.
昭和45年に当時の電子工学科に赴任してから今日までの思い出は尽きませんが,当時の名工大には博士課程が無かったことが一番悔しく,また苦しかった思い出です.さまざまの予算要求は博士課程がないという理由から門前払いをされ,講座費は現在の約半分でした.それが武藤学長のとき,昭和60年の改組によって大学院博士課程の設置が認められましたが,そのときの喜びは筆舌につくしがたいものがあります.電子工学科は電気工学科,情報工学科と一体となり,旧共通講座教室と材料開発研究施設の先生方もお迎えし,最も若い教授であった私は新学科教務委員としてカリキュラム作成と講義担当のお願いに奔走し,新学科教務委員会では中川第二部主事らの大先生と丁々発止の議論を戦わせました.これは苦しかったけれども良い思い出です.
本学の入試科目の変遷も気になることでした.入試が前期日程と後期日程の 2 回になってから長い間,後期日程に数学を課せられなかったのは不幸なことだったと思います.極秘事項ですべては書けませんが,数学を後期日程の入試科目に取り入れるのに貢献できたことは私の誇りです.日本全体の仕組みを変えなくてはならなくなった昨今,再び大学は大変革を余儀なくされていますが,私利私欲を捨て,長期的なビジョンに裏打ちされた改革を是非進めていただきたいと思います.本学は博士課程が認められるまでの長い間に嘗めた辛酸のためか,正攻法が苦手で,技巧で取り繕おうとする悪習があるように思います.また,堂々たる議論を避けがちです.若い教職員の皆さんは,学内外の皆さんと協力して,悪い点を正し,新しい名古屋工業大学をつくるのだとの気概で頑張っていただきたいと思います.
4 月からは南山大学数理情報学部でワイヤレス・コミュニケーションのゼミを担当します.これからもお付き合いをよろしくお願いいたします.
私は昭和50年から10年間を情報工学科に勤務し引き続き昭和60年名工大の学科の改組により,電気情報工学科に 6 年間,そして平成 3年より 15年 3月までの 12 年間を知能情報システム学科に在職し,計 28 年間を電気系の諸先生はじめ,学内外の皆様に大変お世話になりました.
思い起こせば情報工学科に赴任した当時は学科の建物も無く,鈴村宣夫先生,岩田彰先生と一緒に機械工学科の旧内燃機関室 (木造の2階建て------といっても木のはしごを架けた天井部屋) で 3 年生から始まる学生実験の準備をしておりました.その後,4 階建ての情報工学科棟が完成し,真新しい教室で講義と実験,演習がはじまりました.この建物は後に6階建てになり,現在の 21 号館になっております.昭和60 年度の学科の再編に向けて,情報工学科も一時,右往左往することもありました.当時,統合する新学科名の 「電気情報工学科」 については “「電気」 は 「情報」 のシャッポか?” というお話もあり,今はなつかしい思いで一杯です.
電気情報工学科での新しい試みとして,電気回路の I,II の各々を旧電気,旧電子,旧情報の教官の合同チームで編成し,学年の各4クラスを担当することになりました.これらの科目の学生には同一テキストで同一試験問題を実施しました.試験問題の作成からテストの成績の採点方式までミニ入試の様子でした.私もこの要員の一人でしたが定期試験をやると,4 クラスの中でいつも 3 位,4 位のクラスの成績に悩まされました.常時1位,2 位の成績を納める先生方には敬意を表し,担当したクラスの学生には後ろめたい気持ちもありました.教育とは教え方にあると実感したのもこの時期です.
やがて,電気情報工学科にも新進気鋭の先生方が着任し,新しい知能情報システム学科が誕生しました.私も新たな思いで教育と研究をしたいという気持ちで平成 3 年度から,この新学科に加わりました.名工大在職中で知能情報システム学科の 12 年間は一番長い期間になりますが,学科の諸先生のご支援により,この新しい分野で,何とか勤めさせて頂きました事に厚くお礼申し上げると共に,電気情報工学科の諸先生のご支援に感謝する次第です.
東海旅客鉄道株式会社(以下JR東海)は,東京・名古屋・大阪の3大都市圏を結び,日本経済の大動脈を支える東海道新幹線を中心とする鉄道会社です.もちろん東海道新幹線以外に,地域に密着する形でネットワークを形成する在来線輸送や,鉄道と有機的なリンクを果たしている関連事業もJR東海の重要な柱となっています.
このような会社の中で,現在私は長期的展望と総合的判断のもとに会社全体としての一貫性のある経済戦略を策定し,会社の進路を決定する総合企画本部という中のひとつのセクションである情報システム部に属しております.それでは,これから私の所属している情報システム部及び私の業務について私見ではありますが簡潔に紹介させて頂きます.
既述の通り情報システム部とは,会社の進路を決定する総合企画本部の中のひとつのセクションであり,経営に関する様々なシステムの開発・運営・管理を行っています.
鉄道事業におけるシステムは鉄道事業特有の業務システムと一般的な経理や資材購入などの共通業務システムの2つに大別できます.
鉄道事業特有のシステムとしては,まず座席予約システムがあります.これは昭和39年の東海道新幹線開業の前にマルス1号として実用化し,オンラインシステムとしては日本で最も古い有名なシステムです.もうひとつ特有なシステムとして,列車の安全・安定輸送に関わる運行管理システムがあります.特に新幹線でいえばコムトラックという名前で呼ばれており,昭和47年の山陽新幹線の岡山開業の時に導入され,その後数回の改良が行われています.特にこのシステムはお客様の安全に関わるシステムであり,絶対に不具合はゆるされない,ということを肝に銘じ,現在品川新駅開業に向けた改良に取組んでいます.
では,私は情報システム部で何をやっているのか?実は上記の鉄道事業特有のシステムではなく,経理関係の一般的な共通業務システムに携わっています.
JR東海の経理関係システムは国鉄時代より継承したものを抜本的に見直し,平成7年に再構築いたしました.しかしながら,みなさんご存知の通り,このシステム関連技術はハードもソフトも日進月歩の進化を遂げており,平成7年に再構築したシステムも現在では陳腐化してきたと言わざるを得ません.そこで,現在,この経理関係システムの取替プロジェクトが発足し,私もその中のメンバーの一人としてがんばっております.
プロジェクトの中での私の役割は,予算管理,工程管理,技術管理等のマネジメントが主な業務です.500万ステップを超える大規模なシステムの取替ですのでなかなか大変です.「システムマネジメントとは」なんて文献もよく出まわっていますが,実際に私が実感し,心掛けている事があります.それは「保守・運用を視野に入れて設計する」ことです.これは当たり前のことですが,予算や工期等の様々な制約の中でシステムを取替なければならないため,言葉が悪いですが,どうしても目先の事,つまりシステムを稼動させる事に手が一杯になってしまいがちです.取替時期が目の前に迫った時点で,保守はどうなる?運用は?なんて言ってもどうにもなりません.検討を開始した時から,常に頭に入れておくことが重要です.
もうひとつ心掛けているのはパートナー(メーカー,SIベンダー等)の提案は必ず自分で理解する事です.これも当たり前のことですが,例えば前段で述べましたが保守・運用の経験がないパートナーに,それらを考慮した提案を期待してもなかなか難しいものがあります.発注者としての責任を自覚し,まず自分が理解する.理解できない提案は採用しない,というくらいの強い姿勢が大切かと思います.
初対面の方などとお話をする時に「お勤めは?」とよく聞かれます.「JR東海です.」と答えると,「あー,そうですか.でどちらの駅に?ん,車掌さん?」という具合になります.たしかにお客様と直接接する機会の多い職種は駅員ですとか車掌ですが,実際はもっと多くの職種があります.例えば,列車を安全に運行させるために様々な保守系職種(線路設備の保守,電気設備の保守,車両の保守等)が存在しますし,最近では研究所もできました.多くの職種(技術)が支えあって列車の安全・安定輸送を実現しています.今回ご紹介させて頂いた情報システムについても列車の安全・安定輸送を支えている職種の一つです.
日本経済の大動脈を支えているという責任と使命を常に肝に銘じ,これからもお客様に近代的で愛され親しまれ信頼されるサービスを提供し続けるよう頑張っていきたいと思います.
昨年度の入試状況と就職状況は以下の通りです.
前期日程 | 後期日程 | ||
---|---|---|---|
推薦 | 一般 | 一般 | |
募集人員 | 30 | 110 | 30 |
志願者数 | 153 | 309 | 160 |
受験者数 | 153 | 283 | 85 |
合格者数 | 30 | 115 | 39 |
前期日程 | 後期日程 | |
---|---|---|
募集人員 | 50 | 10 |
志願者数 | 152 | 70 |
受験者数 | 146 | 37 |
合格者数 | 55 | 10 |
推薦 | 一般 | |||
---|---|---|---|---|
高卒 | 社会人 | 前期 | 後期 | |
募集人員 | 15 | 若干名 | 20 | 5 |
志願者数 | 11 | 9 | 66 | 44 |
受験者数 | 11 | 9 | 61 | 22 |
合格者数 | 11 | 8 | 24 | 5 |
電気情報 | 知能情報 | |
---|---|---|
募集人員 | 若干名 | 若干名 |
志願者数 | 19 | 9 |
受験者数 | 19 | 9 |
合格者数 | 4 | 1 |
電気情報 | 知能情報 | |||
---|---|---|---|---|
一部 | 二部 | 一部 | ||
一般 | 社会人 | |||
募集人員 | 若干名 | 若干名 | 若干名 | 若干名 |
志願者数 | 49 | 0 | 2 | 24 |
受験者数 | 48 | 0 | 2 | 24 |
合格者数 | 20 | 0 | 2 | 6 |
博士前期 | 博士後期 | |
---|---|---|
募集人員 | 38 | 8 |
志願者数 | 143 | 8 |
受験者数 | 140 | 8 |
合格者数 | 113 | 7 |
( 3月 4日現在)
電気情報 | 知能情報 | ||||
---|---|---|---|---|---|
大学院 | 一部 | 二部 | 大学院 | 一部 | |
卒業者 | 101 | 184 | 62 | 24 | 56 |
進学者 | 4(*) | 103 | 4 | 2 | 35 |
研究生 | 2 | - | 1 | - | - |
一般企業 | 92 | 72 | 35 | 20 | 20 |
官公庁関係 | - | 1 | 1 | - | - |
教員 | 1 | - | 3 | - | - |
自営 | - | - | - | - | - |
未定者 | 7 | 7 | 1 | 2 | 1 |
その他 | 1 | 2 | 16 | - | - |
(*) 内 1 名は社会人ドクター
- 就職担当教授の談話
- OBの皆様からの多大なご協力の下,上記のような優秀な就職状況が実現できております.今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます.
以下の方々より寄付をいただきました.ご高配に厚く御礼申し上げます.
氏名 | 卒業年度 | 学科 |
---|---|---|
清水 達英 | 昭和 7 | 電気工学科 |
清水 弘 | 昭和 7 | 電気工学科 |
三船 修 | 昭和 7 | 電気工学科 |
柳澤 祐雄 | 昭和 7 | 電気工学科 |
神田 清 | 昭和 8 | 電気工学科 |
倉地 孝 | 昭和 9 | 電気工学科 |
安藤 政夫 | 昭和 10 | 電気工学科 |
中村 弘 | 昭和 11 | 電気工学科 |
山田 釣 | 昭和 12 | 電気工学科 |
吉野 敏夫 | 昭和 12 | 電気工学科 |
匿名希望 | 昭和 12 | 電気工学科 |
大原 栄 | 昭和 13 | 電気工学科 |
菊地 秀樹 | 昭和 14 | 電気工学科 |
木野瀬 泰雄 | 昭和 14 | 電気工学科 |
鈴木 孝吉 | 昭和 14 | 電気工学科 |
多田 良之 | 昭和 14 | 電気工学科 |
蛭川 達雄 | 昭和 14 | 電気工学科 |
山本 滋 | 昭和 14 | 電気工学科 |
渡辺 実次 | 昭和 14 | 電気工学科 |
奥田 滋 | 昭和 15 | 電気工学科 |
野口 英男 | 昭和 15 | 電気工学科 |
阿部 勝美 | 昭和 16 | 電気工学科 |
石川 太郎 | 昭和 16 | 電気工学科 |
大塚 次郎 | 昭和 16 | 電気工学科 |
窪田 文雄 | 昭和 16 | 電気工学科 |
佐藤 正一 | 昭和 16 | 電気工学科 |
杉山 貞夫 | 昭和 16 | 電気工学科 |
辻 良男 | 昭和 16 | 電気工学科 |
石田 喬力 | 昭和 17 | 電気工学科 |
伊藤 武 | 昭和 17 | 電気工学科 |
大橋 保 | 昭和 17 | 電気工学科 |
近藤 守信 | 昭和 17 | 電気工学科 |
服部 弘 | 昭和 17 | 電気工学科 |
一杉 保 | 昭和 17 | 電気工学科 |
松波 悦二 | 昭和 17 | 電気工学科 |
宮田 清 | 昭和 17 | 電気工学科 |
山本 富男 | 昭和 17 | 電気工学科 |
青木 保 | 昭和 18 | 電気工学科 |
桜井 尚 | 昭和 18 | 電気工学科 |
芝辻 輝夫 | 昭和 18 | 電気工学科 |
中村 武 | 昭和 18 | 電気工学科 |
中村 正 | 昭和 18 | 電気工学科 |
野沢 正雄 | 昭和 18 | 電気工学科 |
本間 吉夫 | 昭和 18 | 電気工学科 |
和田 久夫 | 昭和 18 | 電気工学科 |
安藤 治夫 | 昭和 19 | 電気工学科 |
戸倉 東 | 昭和 19 | 電気工学科 |
内藤 毅雄 | 昭和 19 | 電気工学科 |
中村 敏夫 | 昭和 19 | 電気工学科 |
松井 一三 | 昭和 19 | 電気工学科 |
伊藤 博英 | 昭和 20 | 電気工学科 |
中野 彌喜雄 | 昭和 20 | 電気工学科 |
松本 淦弥 | 昭和 20 | 電気工学科 |
渡辺 正彦 | 昭和 20 | 電気工学科 |
伊藤 光芳 | 昭和 21 | 電気工学科 |
大野 徳衛 | 昭和 21 | 電気工学科 |
石川 幸雄 | 昭和 22 | 電気工学科 |
市川 公一 | 昭和 22 | 電気工学科 |
伊藤 季彦 | 昭和 22 | 電気工学科 |
稲垣 米一 | 昭和 22 | 電気工学科 |
臼杵 謙治 | 昭和 22 | 電気工学科 |
大泉 秀夫 | 昭和 22 | 電気工学科 |
大友 博幸 | 昭和 22 | 電気工学科 |
大村 信三郎 | 昭和 22 | 電気工学科 |
佐藤 和夫 | 昭和 22 | 電気工学科 |
鈴木 行雄 | 昭和 22 | 電気工学科 |
玉田 博二 | 昭和 22 | 電気工学科 |
原口 泰三 | 昭和 22 | 電気工学科 |
三木 忠夫 | 昭和 22 | 電気工学科 |
伊藤 敞夫 | 昭和 23 | 電気工学科 |
伊藤 典之 | 昭和 23 | 電気工学科 |
井上 堅司 | 昭和 23 | 電気工学科 |
加藤 文男 | 昭和 23 | 電気工学科 |
坂野 昭夫 | 昭和 23 | 電気工学科 |
鈴木 昭三 | 昭和 23 | 電気工学科 |
鈴木 宏 | 昭和 23 | 電気工学科 |
中村 順 | 昭和 23 | 電気工学科 |
畠中 正廣 | 昭和 23 | 電気工学科 |
古川 氏典 | 昭和 23 | 電気工学科 |
堀江 達郎 | 昭和 23 | 電気工学科 |
水谷 末一 | 昭和 23 | 電気工学科 |
吉田 昭二 | 昭和 23 | 電気工学科 |
熊崎 千尋 | 昭和 24 | 電気工学科 |
田坂 弘次郎 | 昭和 24 | 電気工学科 |
田中 督啓 | 昭和 24 | 電気工学科 |
藤原 昭二 | 昭和 24 | 電気工学科 |
泉舘 昭則 | 昭和 25 | 電気工学科 |
岩田 收平 | 昭和 25 | 電気工学科 |
梶浦 孝一 | 昭和 25 | 電気工学科 |
加藤 裕 | 昭和 25 | 電気工学科 |
後藤 正 | 昭和 25 | 電気工学科 |
白井 光雄 | 昭和 25 | 電気工学科 |
中川 孝之 | 昭和 25 | 電気工学科 |
中村 正夫 | 昭和 25 | 電気工学科 |
古山 博典 | 昭和 25 | 電気工学科 |
伊藤 健男 | 昭和 26 | 電気工学科 |
伊藤 春光 | 昭和 26 | 電気工学科 |
沖辻 寛 | 昭和 26 | 電気工学科 |
奥村 士郎 | 昭和 26 | 電気工学科 |
押田 安成 | 昭和 26 | 電気工学科 |
加藤 登 | 昭和 26 | 電気工学科 |
兼子 共明 | 昭和 26 | 電気工学科 |
岸 治 | 昭和 26 | 電気工学科 |
阪口 貢 | 昭和 26 | 電気工学科 |
高木 博彦 | 昭和 26 | 電気工学科 |
中島 一雄 | 昭和 26 | 電気工学科 |
林 正雄 | 昭和 26 | 電気工学科 |
原 行一 | 昭和 26 | 電気工学科 |
久富 道和 | 昭和 26 | 電気工学科 |
本田 春光 | 昭和 26 | 電気工学科 |
安田 丞善 | 昭和 26 | 電気工学科 |
吉野 毅 | 昭和 26 | 電気工学科 |
宇佐美 和保 | 昭和 28 | 電気工学科 |
社本 一郎 | 昭和 28 | 電気工学科 |
中村 好郎 | 昭和 28 | 電気工学科 |
西澤 明 | 昭和 28 | 電気工学科 |
山田 新一 | 昭和 28 | 電気工学科 |
山田 速水 | 昭和 28 | 電気工学科 |
國島 尤 | 昭和 29 | 電気工学科 |
志賀 拡 | 昭和 29 | 電気工学科 |
七滝 健夫 | 昭和 29 | 電気工学科 |
廣瀬 皓二 | 昭和 29 | 電気工学科 |
山口 亘 | 昭和 29 | 電気工学科 |
匿名希望 | 昭和 29 | 電気工学科 |
石川 朝二 | 昭和 30 | 電気工学科 |
内田 忠良 | 昭和 30 | 電気工学科 |
水谷 晃 | 昭和 30 | 電気工学科 |
浅井 利夫 | 昭和 31 | 電気工学科 |
梅村 英三 | 昭和 31 | 電気工学科 |
小澤 昌夫 | 昭和 31 | 電気工学科 |
後藤 領次 | 昭和 31 | 電気工学科 |
三ツ石 喜郎 | 昭和 31 | 電気工学科 |
武藤 保 | 昭和 31 | 電気工学科 |
山田 正敏 | 昭和 31 | 電気工学科 |
新剛 実 | 昭和 32 | 電気工学科 |
岡野 修 | 昭和 32 | 電気工学科 |
金田 桂太郎 | 昭和 32 | 電気工学科 |
中塚 茂 | 昭和 32 | 電気工学科 |
丹羽 英夫 | 昭和 32 | 電気工学科 |
守山 茂一郎 | 昭和 32 | 電気工学科 |
荒井 英二 | 昭和 33 | 電気工学科 |
伊藤 正秋 | 昭和 33 | 電気工学科 |
熊吉 直孝 | 昭和 33 | 電気工学科 |
寺林 康治 | 昭和 33 | 電気工学科 |
藤田 正浩 | 昭和 33 | 電気工学科 |
前島 一雄 | 昭和 33 | 電気工学科 |
芦崎 重也 | 昭和 34 | 電気工学科 |
伊藤 智彦 | 昭和 34 | 電気工学科 |
岡田 明義 | 昭和 34 | 電気工学科 |
小川 一司 | 昭和 34 | 電気工学科 |
菱川 躬行 | 昭和 34 | 電気工学科 |
森島 茂樹 | 昭和 34 | 電気工学科 |
山田 要 | 昭和 34 | 電気工学科 |
渥美 一二 | 昭和 35 | 電気工学科 |
後藤 秋生 | 昭和 35 | 電気工学科 |
近藤 芳孝 | 昭和 35 | 電気工学科 |
中西 和義 | 昭和 35 | 電気工学科 |
匿名希望 | 昭和 35 | 電気工学科 |
小田 征一郎 | 昭和 36 | 電気工学科 |
五月女 久郎 | 昭和 36 | 電気工学科 |
佐藤 照夫 | 昭和 36 | 電気工学科 |
成瀬 孝夫 | 昭和 36 | 電気工学科 |
馬路 才智 | 昭和 36 | 電気工学科 |
森田 時弘 | 昭和 36 | 電気工学科 |
久保村 徳太郎 | 昭和 37 | 電気工学科 |
水谷 欽弥 | 昭和 37 | 電気工学科 |
中谷 光男 | 昭和 38 | 電気工学科 |
岩間 紀男 | 昭和 39 | 電気工学科 |
笠野 宏之 | 昭和 39 | 電気工学科 |
加藤 勝英 | 昭和 39 | 電気工学科 |
高井 律男 | 昭和 39 | 電気工学科 |
田村 英也 | 昭和 39 | 電気工学科 |
服部 昭三 | 昭和 39 | 電気工学科 |
幅 敏明 | 昭和 39 | 電気工学科 |
毛利 博 | 昭和 39 | 電気工学科 |
石川 義明 | 昭和 40 | 電気工学科 |
大隅 東也 | 昭和 40 | 電気工学科 |
加藤 隆夫 | 昭和 40 | 電気工学科 |
西阪 公一 | 昭和 40 | 電気工学科 |
山口 善民 | 昭和 40 | 電気工学科 |
渡辺 明生 | 昭和 40 | 電気工学科 |
石井 光雄 | 昭和 41 | 電気工学科 |
石丸 隆英 | 昭和 41 | 電気工学科 |
大嶋 明 | 昭和 41 | 電気工学科 |
阪本 安司 | 昭和 41 | 電気工学科 |
竹内 芳郎 | 昭和 41 | 電気工学科 |
中村 光一 | 昭和 41 | 電気工学科 |
松井 信行 | 昭和 41 | 電気工学科 |
八神 正彦 | 昭和 41 | 電気工学科 |
八島 武久 | 昭和 41 | 電気工学科 |
小島 一男 | 昭和 42 | 電気工学科 |
佐野 周造 | 昭和 42 | 電気工学科 |
中山 静夫 | 昭和 42 | 電気工学科 |
吉村 洋典 | 昭和 42 | 電気工学科 |
阿江 努 | 昭和 42 | 電子工学科 |
宇佐美 忠男 | 昭和 42 | 電子工学科 |
津田 由紀夫 | 昭和 42 | 電子工学科 |
桑名 孝彦 | 昭和 43 | 電気工学科 |
沢野 勝 | 昭和 43 | 電気工学科 |
重見 健一 | 昭和 43 | 電気工学科 |
牧野 正俊 | 昭和 43 | 電子工学科 |
田辺 郁夫 | 昭和 44 | 電気工学科 |
神本 勝巳 | 昭和 45 | 電気工学科 |
橋本 義雄 | 昭和 45 | 電気工学科 |
松村 好高 | 昭和 45 | 電子工学科 |
藤原 修 | 昭和 46 | 電子工学科 |
蛭子 博志 | 昭和 47 | 電気工学科 |
田島 耕一 | 昭和 47 | 電気工学科 |
田中 裕一 | 昭和 48 | 電気工学科 |
三木 敏裕 | 昭和 48 | 電気工学科 |
米山 高志 | 昭和 48 | 電気工学科 |
北村 正 | 昭和 48 | 電子工学科 |
飯塚 圭亮 | 昭和 49 | 電気工学科 |
朝倉 吉隆 | 昭和 49 | 電子工学科 |
緒方 善郎 | 昭和 49 | 電子工学科 |
眞鍋 和人 | 昭和 50 | 電気工学科 |
西元 俊彦 | 昭和 50 | 電子工学科 |
浜岡 重男 | 昭和 50 | 電子工学科 |
岩波 保則 | 昭和 51 | 電気工学科 |
大角 芳史 | 昭和 51 | 電気工学科 |
宮脇 誠 | 昭和 52 | 電子工学科 |
塩見 佳久 | 昭和 52 | 情報工学科 |
山中 清 | 昭和 52 | 情報工学科 |
高橋 仁 | 昭和 53 | 電気工学科 |
片桐 彰夫 | 昭和 54 | 電気工学科 |
長崎 高帆 | 昭和 54 | 電気工学科 |
山崎 誠 | 昭和 54 | 電気工学科 |
吉田 誠治 | 昭和 54 | 電気工学科 |
酒井 公孝 | 昭和 54 | 情報工学科 |
江川 孝志 | 昭和 55 | 電子工学科 |
粟津 茂樹 | 昭和 55 | 情報工学科 |
山口 初一 | 昭和 56 | 電気工学科 |
浅野 寿朗 | 昭和 56 | 情報工学科 |
石橋 豊 | 昭和 56 | 情報工学科 |
安藤 幹人 | 昭和 57 | 電気工学科 |
竹下 隆晴 | 昭和 57 | 電気工学科 |
谷本 弘二 | 昭和 57 | 電気工学科 |
野口 敏彦 | 昭和 57 | 電気工学科 |
菊間 信良 | 昭和 57 | 電子工学科 |
内匠 逸 | 昭和 57 | 電子工学科 |
福島 史郎 | 昭和 57 | 電子工学科 |
丸山 敏彦 | 昭和 57 | 情報工学科 |
宇佐見 祐之 | 昭和 59 | 電子工学科 |
徳田 恵一 | 昭和 59 | 電子工学科 |
平野 智 | 昭和 60 | 電子工学科 |
深谷 和義 | 昭和 60 | 情報工学科 |
井村 英樹 | 昭和 61 | 電気工学科 |
高木 智史 | 昭和 61 | 電気工学科 |
森田 良文 | 昭和 62 | 電気工学科 |
犬塚 信博 | 昭和 62 | 情報工学科 |
奥井 俊行 | 昭和 63 | 情報工学科 |
林 宏明 | 平成 1 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
川上 康子 | 平成 3 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
晦日 善行 | 平成 5 | 電気情報工学科 (電気・電子) |
村重 和寿 | 平成 7 | 電気情報工学科 (電気・電子) |
後藤 富朗 | 平成 8 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
新年度が始まり,電影会関連の学科の担当も以下のようになりました.
次の方が叙勲の栄誉に浴されました.
最終更新 : 2006年 2月22日 (水) 19:57:18