今年も新入生を迎える季節になりました. 4 月 6 日の入学式では,留学生 72 名を含めて大学院,学部に総勢 1750 名の新入生を迎え,学内は活気に満ちております.
平成17年度入試では,世間で工学部志願者が減少する中で本学はむしろ受験生が増えました.少子化,若年層の工学離れが取り沙汰されるなか大変心強いものを感じます.また,産学連携の具体策としての本学独自の制度である「プロジェクト研究所」,「分野別連携制度」なども,新聞報道などでご存じかと思いますが,順調に成長しております.
法人化された国立大学は国から支給される「運営費交付金」と授業料や受験料に代表される「自己収入」によって運営されておりまして,これによって職員人件費と基本的な教育と研究に関する経費をまかなっています.そして,運営費交付金は毎年定率で減少することになっています.従って,職員給与や基本的な教育研究費以外に,より充実した大学の教育を支える研究活動の活性化のためには,運営費交付金や自己収入とは別に,国の競争的資金や民間との共同研究によるいわゆる「外部研究資金」の獲得が重要な課題になっております.本学は従来から民間との共同研究実績が高い事で知られていますが,平成16年度は大学として戦略的に外部研究資金の獲得に努めたこともあって,運営費交付金の 33% に相当する額を外部研究資金で占めるまでになりました.今年度はこの割合を一層高める事によって,本学の研究活動の活性化に一層の拍車をかけるべく施策を練っています.また,国の財政が厳しい中で,平成 16 年度に 19 号館の改修計画が採択され,これによって専門棟の耐震化整備が一巡します.
さて,ご承知のように本年 11 月 1 日の創立記念日をもって,本学は 100 周年を迎えます.1905 年に創設された名古屋高等工業学校と 1943 年創設の愛知県立高等工業学校が 1949 年の学制改革によって合併,新制名古屋工業大学として現在に至ったことはご承知の通りです.皆様のお手元にも 100 周年記念事業募金趣意書が届いていることでしょうから重複を避けて要点をご説明いたしたいと思います.
記念事業としては 10 億円の募金目標の下で,
大学の総ての研究が必ずしも実業に直接結びつくものではありませんが,出口に近い研究も数多くあることは事実です.既に本学に設けられているインキュベーション施設での活動を強化して,それらを実業に資する形にしようとするのが 1. です.また,昭和初期に学生,父兄,教職員の寄付で作られ,戦災をくぐって今も当時の建築様式を比較的良く残している三協会館をリフォームして,本学の歴史館,卒業生の集いの場,卒業生の偉業を書籍に纏める出版事業の場としての機能を持たせるのが 2. です.出版事業は通称「名工大版プロジェクト X」と呼ばれるもので,初刊はトヨタのカンバン方式で名高い大野耐一氏 (名古屋高等工業学校,昭和 7 年機械科卒) に焦点を合わせ,若山滋教授が執筆を始めています.この出版事業は卒業生の偉業をたたえると共に,工学離れが指摘される中で本学を志す,工学への志の高い数多くの若者を鼓舞する狙いです.また,工学分野での本学のプレゼンスを高めるために,COE プログラム等を中心に本学が取り組んでいる新しい分野の研究成果を発信します.これをノーベル賞クラスの著名人の招聘と連動した国際フォーラムの形で行い,併せて工業系の学長や企業人とともに真の産学連携の方法論を確立しようとするのが 5. であります.
準備作業は名古屋工業会との連動で進めています.私は募金部会長の中西英二教授と共に昨年暮れから主要な企業を回り,記念事業の趣旨をご説明すると共にご協力を仰いでおります.今年に入ってからは募金部会を構成する学内有力教授のご協力を得て同窓会組織との連携によって,個別企業への働きかけを始めております.電影会関係については藤原修教授 (昭和 46 年電子工学科卒) の全面的なご協力のもとで進められています.80 周年記念事業募金は国立大学体制の中でしたので,全面的に名古屋工業会が窓口になって行われたのですが,法人化後の今回の 100 周年記念事業募金については卒業生の個人的なご寄付は名古屋工業会,企業からのご寄付は大学法人が窓口になっています.
また,上記の記念事業に関するご寄付のほか, 1. に関連して,名古屋工業大学の発展のために 100 周年を記念して特別な事業を指定してご寄付頂ける場合 (例えば大規模な建物の改修経費であるとかプロジェクト研究所の設置など) で,法人税法上の全額損金算入を認められる指定寄付金も 100 周年記念募金枠とすることが出来ます.
私は 100 周年記念事業に関連して主要企業をご訪問するにつけても,電影会をはじめとして本学の卒業生の広範な分野でのご活躍に感動すると共に,卒業生各位の本学への熱い思いに力づけられております.卒業生各位の変わらぬ本学へのご理解とご支援こそが,本学の発展のための大きな力だと実感しております.末尾ながら,卒業生各位のますますのご発展を祈念すると伴に,本学の活動に対する一層のご理解とご支援をお願いいたします.
- 100 周年記念事業
- 研究資産の事業化に関する助成
- 名古屋工業大学創立100周年記念校友会館の設置
- 学生援助に関する事業
- 学術交流のための基金の創設
- 国際フォーラムの開催
- 名古屋工業大学100年史の編集及び刊行
平成 16 年 4 月 1 日付けで本学は,国立大学法人名古屋工業大学として発足しました.大学の 3 本柱は教育,研究と地域貢献です.教育,研究はさておき,本学の地域貢献のミッションを担当する部署はテクノイノベーションセンターです.当センターの組織は図 1 に示すように共同研究,知財管理,大学院 VBL と先端計測分析の 4 部門から構成されています.前の 2 部門は地域に対する営業活動,後の 2 部門は研究活動が主な業務と見て良いでしょう.各 4 部門はほぼ独自に活動しています.
共同研究部門は先生と企業との共同研究や受託研究を推進する窓口であります.当部門は先生方のご努力とは別に独自の活動により研究契約件数を増やすための地道な活動を行っています.ここでは紙面の都合上主な活動に限定して紹介することにしましょう.
まず平成 16 年度における陣容を紹介しましょう.構成員は,部門長 (中村),専任教授 1,専任助教授 1,客員教授 5 (客員助教授,非常勤講師を含む),産学連携コーディネータ 4 名,研究支援推進員 1,事務補佐員 2,この他研究協力会事務局 2 です.
共同研究推進活動について紹介しましょう.まず,コーディネータは大学の研究シーズ売り込みと企業の技術ニーズとのマッチングを探るために企業を訪問するいわゆるリエゾン活動です.これまでの約 2 年間 149 件の企業との面談を通して,共同研究 8,奨学寄附金 2 の成果を得ています.主として,岩間紀男コーディネータ (E,昭和 40) の業績です.年間 80 件ほどの企業訪問を行っており,訪問数や成果は全国的に高いほうです.次に,サテライトセミナーを紹介しましょう.これは名工大研究協力会の支援によるもので,いわゆる出前研究会です.地域の商工会や工業会が希望する分野の 5 人程度の先生方に自らの研究紹介や技術相談を行ってもらいます.これまでに,岐阜県工業会 (各務原市) 2 回,諏訪市 (長野県交流財団共催),瀬戸市,豊田市など計 5 回行い,地元中小企業が多数参加するなど好評を得ています.効果はすぐ出るものではないが,継続は力なりで,いずれ共同研究に対する中小企業の理解も高まり,共同研究成約も実現することでしょう.
さらに,銀行との包括的連携を始めています.銀行は金融を通して企業と密接な関係にあります.そのネットワークはきわめて太く,広く,ダイナミックで,適正です.銀行が紹介する企業は大学からも美味しいものです.平成 16 年度は 1 銀行のみでしたが,数件の共同研究が生まれました.17 年度は他の銀行との連携が予定されており,期待できます.
名工大研究協力会支援の研究会について述べましょう.研究会は研究者や学生と会員企業との技術交流を通して新産業創出や国プロ,科研誘引や大学発ベンチャー起業創設等を目的として任意に開設するもので,16 年度は 27 研究会 (竹下隆晴教授,伊藤英則教授,曽我哲夫助教授,中村光一教授各 1,岩田彰教授 2) が活動しています.これによりファインセラミックス系の産業創出,NEDO プロジェクトの誘引などのいくつか成果が実現しており,また大学発ベンチャー起業も 2 件立ち上がっています.
当部門の学内向けサービス事業について言及すると,ベンチャー相談会,大型プロジェクト相談会,特許相談会など産学官連携に関する相談会を月 1,2 回開催しています.電影会の先生方もよく活用されています.
当部門の部門長や専任教授・助教授が関わる大学や,地域諸官庁等との連携活動について紹介しましょう.名大,名工大など東海地区6国立大学共同研究センター連絡会議を年間 5 回程度開催しています.共通する問題の協議や人的交流を通して相互理解を深めています.また,中部通商産業局,愛知県技術交流財団,名古屋市都市振興公社,中部 TLO,産総研中部センターなどとは種々の連携活動を行っています.
最後に,平成 15 年度,16 年度における共同研究契約件数はそれぞれ 151 件 (電影会教員: 田坂修二教授 1,平井洋武教授 5,松井信行教授 9,鵜飼裕之助教授 1,江川孝志教授 8,中村光一教授 2,曽我哲夫助教授 2,水野幸男教授 1,菊間信良教授 3,岩田彰教授 2,伊藤英則教授 2,森田良文助教授 1,中野良平教授 1,神保孝志教授 1,邵春林助教授 1,伊藤孝行助教授 1,榊原久二男助教授 1,新谷虎松教授 1,内匠逸教授 1,松尾啓志教授 2,徳田恵一教授 1,佐藤淳教授 1),約 170 件,受託研究はそれぞれ 38 件,36 件で,両者の契約金総額はそれぞれ 4.4 億円,8 億円強であります.
これからの大学はマスコミなどを通じて格付けされることを余儀なくされます.その基礎データは大学から発信される成果に基づく数値であります.16 年度の同研究と受託研究の合計は 200 件を超えました.全国的な順位はおよそ 10 位前後と言われます.工学部単独ならば 1 位かもしれません.このような外面的数値のみでの格付けは正しい評価を反映しているかどうかは分かりませんが,ひとつの指針とはなります.元来名工大は優秀な卒業生により上位に格付けされていましたが,これからは学内の活動が問われることになります.
昭和 42 年当時の電気工学科助手として赴任して以来 38 年目の今年,定年を迎えました.この間に教育や研究に関して沢山の懐かしい思い出があります.紙面が限られているので,思い出の一つを紹介しましょう.
昭和 52 年から平成 10 年までの 20 年超にわたるロケット誘雷研究から得た教訓です.雷雲下,小型ロケットに結んだピアノ線を地上高 200m 程度まで引き上げ,人工的に雷を落とす実験です.この間に 200 発以上の誘雷成功を収めたが,当初はおっかなびっくりの状態であった.そのときの出来事から得た教訓です.
実験場所は石川県河北潟干拓地内.季節は 12 月中旬.名大,名工大,中部大学などの院生,卒研生と小生を加えておよそ 8 名が実験体制に入っていた.当時ロケットはいつでも発射できる態勢に入っていた.発射条件は地上電界がおおよそ 5kV/m を超えたと判断したらカウントダウンを始めてよい決まりであった.
その夜はたまたま研究代表の堀井憲爾名大教授 (当時) が激励に来ていた.雷雲が上空に来ていたが,勢力は弱く電界値も低かったので,決断に迷っていた.電界が少し高まり,ロケットの発射指令を出す直前に,「先生,打ちましょうか」と聞いたとき,堀井先生は「ううん」といわれた.これは待てのサインだと判断して,カウントダウンをしなかった.
結果的に雷雲の勢力は弱まり,消滅してしまった.この逡巡がツキを無くしたのか,それ以後小生の班の担当期間に襲雷はなく,ロケットを打ち上げる機会はなかった.この班の学生だけが誘雷現象を見ることなく,ましてやロケットの打ち上げすら見ることもなかった.実験終了後の検討会でも他の班の学生ほどの元気はなく,失意のままに就職してしまったことが悔やまれて仕方がない.
これから得た教訓である.
教育の質とは何だろうか.教育は人と人との係わりで成り立つものであるから,その質を正確に議論することは容易ではない.特に,初等中等学校教育では,学校教育が生徒に及ぼす影響は広範囲にわたるため,その質の評価は一層難しい.ゆとり教育は,その一つの例であろう.しかし,対象を高等教育に限定するならば,その教育内容が一つの専門分野に特化するのが普通であるため,質の議論はしやすくなる.中でも大学における技術者教育は,その目的が比較的明確であるため,これまでにも種々の議論が行われてきた.本稿では,大学学部を主たる対象として,技術者教育システムの質の認定を行う日本技術者教育認定機構 (Japan Accreditation Board for Engineering Education: JABEE)の概要を説明する.本稿での説明は基本的な考え方に限定するので,詳細は JABEE のホームページ (http://www.jabee.org/) を参照されたい.
2004 年 4 月に国立大学が法人化され,大学における種々の活動の説明責任が,これまで以上に大きくなってきた.言うまでもなく,教育は,大学の最も重要な活動である.教員は教育サービスの提供者であり,学生と社会はそのサービス受領者であるという見方もできる.有料でサービス提供を行う場合,提供者側はその品質の保証を求められることが多い.上述のように,教育の質の議論は本質的に難しいのであるが,JABEE はそれを行おうとしている.
JABEE は,技術者教育プログラムの審査・認定を行う非政府団体であり,1999 年 11 月に設立された.2005 年 3 月現在で,91 の技術系学協会と密接に連携しながら活動を行っている.その主な活動目的は,我が国における技術者教育の質的向上と,教育の国際的相互承認の実現である.特に後者については,技術者教育の質的同等性を,国境を越えて相互に承認し合う協定,すなわち,ワシントン協定 (Washington Accord: WA)に JABEE が加入することによって実現しようとしている.これは,経済活動のグローバリゼーションにより顕在化した要求に応えるものである.
WA は,米国,英国,カナダ,オーストラリア,ニュージーランド,アイルランドの 6 カ国を代表する技術者教育認定団体が 1989 年に最初に締結したものであり,その後,香港と南アフリカが加わっている.このように,現時点では,WA の正式加盟国は英語圏の国・地域に限定されている.JABEE は,非英語圏では初めて,2001 年に暫定加盟が認められた.
その後,マレーシア,シンガポール,ドイツが暫定加盟国となっている.JABEE は,順調に行けば,2005 年に正式加盟となる予定である.
JABEE では,高等教育機関において技術者の基礎教育を行っているプログラム (学科や学科内のコースに相当) を認定するために,次の基準を設けている.
こうして設定された学習・教育目標を,プログラム提供者が量的且つ質的に保証するシステムを構築しているかどうかを,JABEE は審査する. 審査の対象となるのは,個々の学生の質ではなく教育システムそのものである.学習・教育目標を達成する教育システムが現時点で構築されているだけでなく,状況の変化に対応して継続的改善を行うことができるシステムであることが求められる.JABEE に認定されているプログラム数は,2001 年度に 3,2002 年度に 32,2003 年度に 67 と,急速に増えてきている.
JABEE は,産業界で品質保証のためのシステムとしてよく知られている ISO9001 の教育版であると言うこともできる.ISO9001 は製品を対象としているが,審査対象は製品そのものではない.製品の品質を保証するための必要最低条件が規定され,その条件がシステムとして満足されており,且つ規定どおり実際に運用されているかが審査される.同様に,JABEE でも,そのプログラムを修了する学生の質を保証するための必要最低限の条件が規定され,システムがその条件を満足し,且つ規定どおり実際に運用されているかが認定の対象となる.
ISO9001 の認定を受けるために必要な条件として,
名古屋工業大学は,2004 年度に学士課程の教育組織が改組され,電気情報系は,電気電子工学科と情報工学科とに再編された.これら 2 学科のうち,電気電子工学科は,2004 年度から JABEE 対応の教育を開始している.電気電子工学科では,機能電子,エネルギーデザイン,通信の 3 コースを設け,それぞれの学習・教育目標を設定している.このうちの通信コースのものを,参考までに表 1 に掲げておく.
A | 電気・電子・通信のエレクトロニクス技術の発展を見据え,技術動向に柔軟に対応できる基礎知識と創造能力を養う |
B | 電気・電子・情報工学分野の基礎知識を身につけ,通信工学を基軸としたエレクトロニクス技術,特に物理現象を扱う技術に関する専門知識を理解する能力を養う |
C | 地球的視野から自らの責任を自覚し,技術者として工学倫理を基盤とした社会貢献を実行する能力を養う |
D | 電気電子工学の基礎知識を専門応用へと展開できる能力と,情報通信社会に急速に広がる多様な問題に対処できる創造的能力を養う |
E | 日本語及び英語による自己表現及び異文化理解ができる能力と,情報とメディアを活用できる能力を養う |
JABEE は,教育システムの品質を保証するものではあるが,決してそれ自身が目的ではなく,一つの手段であるにすぎない.従って.JABEE とは別の手段で,社会に対して教育の質の保証を行うことは可能ではある.しかし,独自の方法を考案し実行するのは,JABEE 対応よりずっと大変なことである.
昨年度の入試状況と就職状況は以下の通りです.
前期日程 | 後期日程 | ||
---|---|---|---|
推薦 | 一般 | 一般 | |
募集人員 | 10 | 104 | 25 |
志願者数 | 42 | 322 | 201 |
受験者数 | 42 | 307 | 112 |
合格者数 | 7 | 122 | 28 |
前期日程 | 後期日程 | ||
---|---|---|---|
推薦 | 一般 | 一般 | |
募集人員 | 10 | 114 | 40 |
志願者数 | 8 | 273 | 228 |
受験者数 | 8 | 265 | 112 |
合格者数 | 3 | 131 | 40 |
推薦 | 一般 | |||
---|---|---|---|---|
高卒 | 社会人 | 前期 | 後期 | |
募集人員 | 10 | 若干名 | 25 | 5 |
志願者数 | 13 | 7 | 56 | 14 |
受験者数 | 13 | 7 | 51 | 14 |
合格者数 | 11 | 4 | 29 | 6 |
電気電子工学科 | 情報工学科 | |
---|---|---|
募集人員 | 若干名 | 若干名 |
志願者数 | 7 | 6 |
受験者数 | 7 | 5 |
合格者数 | 2 | 1 |
電気情報 | 知能情報 | |||
---|---|---|---|---|
一部 | 二部 | 一部 | ||
一般 | 社会人 | |||
募集人員 | 若干名 | 若干名 | 若干名 | 若干名 |
志願者数 | 60 | 0 | 2 | 17 |
受験者数 | 54 | 0 | 2 | 16 |
合格者数 | 24 | 0 | 0 | 5 |
博士前期 | 博士後期 | |
---|---|---|
募集人員 | 44 | 5 |
志願者数 | 165 | 10 |
受験者数 | 162 | 10 |
合格者数 | 94 | 10 |
電気情報 | 知能情報 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
大学院 | 一部 | 二部 | 大学院 | 一部 | ||||
物電 | 情計 | 物電 | 情計 | 物電 | 情計 | |||
卒業者 | 51 | 55 | 91 | 79 | 33 | 20 | 28 | 59 |
進学者 | - | 5 | 56 | 52 | 4 | 2 | 1 | 43 |
研究生 | - | - | 1 | 1 | 2 | - | - | 1 |
一般企業 | 50 | 46 | 30 | 22 | 16 | 12 | 27 | 31 |
官公庁関係 | 1 | 1 | - | 2 | 1 | - | - | 2 |
教員 | - | - | - | - | - | 1 | - | - |
自営 | - | - | - | - | 1 | - | - | - |
未定者 | - | 1 | - | 2 | 1 | 1 | - | - |
その他 | - | 2 | 1 | - | 7 | 4 | - | - |
休学 | 4 | - | 2 | - | 1 | - | - | - |
- 就職担当教授の談話
- OBの皆様からの多大なご協力の下,上記のような優秀な就職状況が実現できております.今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます.
以下の方々より寄付をいただきました.ご高配に厚く御礼申し上げます.
氏名 | 卒業年度 | 学科 |
---|---|---|
清水 達英 | 昭和 7 | 電気工学科 |
清水 弘 | 昭和 7 | 電気工学科 |
舘 和三郎 | 昭和 7 | 電気工学科 |
三船 修 | 昭和 7 | 電気工学科 |
中村 弘 | 昭和 11 | 電気工学科 |
前田 修 | 昭和 11 | 電気工学科 |
匿名希望 | 昭和 12 | 電気工学科 |
大原 栄 | 昭和 13 | 電気工学科 |
中村 嘉平 | 昭和 13 | 電気工学科 |
芦澤 龍之介 | 昭和 14 | 電気工学科 |
大河原 達 | 昭和 14 | 電気工学科 |
兼松 成一 | 昭和 14 | 電気工学科 |
菊地 秀樹 | 昭和 14 | 電気工学科 |
多田 良之 | 昭和 14 | 電気工学科 |
蛭川 達雄 | 昭和 14 | 電気工学科 |
渡辺 実次 | 昭和 14 | 電気工学科 |
奥田 滋 | 昭和 15 | 電気工学科 |
高木 行雄 | 昭和 15 | 電気工学科 |
阿部 勝美 | 昭和 16 | 電気工学科 |
石川 太郎 | 昭和 16 | 電気工学科 |
井上 順弘 | 昭和 16 | 電気工学科 |
岡本 進午 | 昭和 16 | 電気工学科 |
加藤 邦弘 | 昭和 16 | 電気工学科 |
久保 稔 | 昭和 16 | 電気工学科 |
窪田 文雄 | 昭和 16 | 電気工学科 |
小岩 八郎 | 昭和 16 | 電気工学科 |
佐藤 正一 | 昭和 16 | 電気工学科 |
杉山 貞夫 | 昭和 16 | 電気工学科 |
水野 宏行 | 昭和 16 | 電気工学科 |
大橋 保 | 昭和 17 | 電気工学科 |
近藤 守信 | 昭和 17 | 電気工学科 |
坂本 良平 | 昭和 17 | 電気工学科 |
勅使 晴夫 | 昭和 17 | 電気工学科 |
山本 富男 | 昭和 17 | 電気工学科 |
青木 保 | 昭和 18 | 電気工学科 |
久保 利道 | 昭和 18 | 電気工学科 |
桜井 尚 | 昭和 18 | 電気工学科 |
芝辻 輝夫 | 昭和 18 | 電気工学科 |
中村 正 | 昭和 18 | 電気工学科 |
原田 金三 | 昭和 18 | 電気工学科 |
本間 吉夫 | 昭和 18 | 電気工学科 |
内藤 毅雄 | 昭和 19 | 電気工学科 |
浅井 政寛 | 昭和 20 | 電気工学科 |
伊藤 博英 | 昭和 20 | 電気工学科 |
中野 彌喜雄 | 昭和 20 | 電気工学科 |
中原 裕 | 昭和 20 | 電気工学科 |
松本 淦弥 | 昭和 20 | 電気工学科 |
市川 儀男 | 昭和 22 | 電気工学科 |
伊藤 季彦 | 昭和 22 | 電気工学科 |
佐藤 和夫 | 昭和 22 | 電気工学科 |
鈴木 行雄 | 昭和 22 | 電気工学科 |
西川 清司 | 昭和 22 | 電気工学科 |
原口 泰三 | 昭和 22 | 電気工学科 |
益尾 興 | 昭和 22 | 電気工学科 |
三木 忠夫 | 昭和 22 | 電気工学科 |
村上 庄之助 | 昭和 22 | 電気工学科 |
渡邊 登 | 昭和 22 | 電気工学科 |
伊藤 典之 | 昭和 23 | 電気工学科 |
岡本 兼喜 | 昭和 23 | 電気工学科 |
熊崎 憲次 | 昭和 23 | 電気工学科 |
中井 二夫 | 昭和 23 | 電気工学科 |
畠中 正廣 | 昭和 23 | 電気工学科 |
古川 氏典 | 昭和 23 | 電気工学科 |
堀 彦兵 | 昭和 23 | 電気工学科 |
堀 三木 | 昭和 23 | 電気工学科 |
松下 昭 | 昭和 23 | 電気工学科 |
水谷 末一 | 昭和 23 | 電気工学科 |
稲森 康之 | 昭和 24 | 電気工学科 |
井上 昮 | 昭和 24 | 電気工学科 |
田中 督啓 | 昭和 24 | 電気工学科 |
丹羽 正光 | 昭和 24 | 電気工学科 |
泉舘 昭則 | 昭和 25 | 電気工学科 |
荻野 孝 | 昭和 25 | 電気工学科 |
奥村 亮 | 昭和 25 | 電気工学科 |
後藤 正 | 昭和 25 | 電気工学科 |
白井 光雄 | 昭和 25 | 電気工学科 |
中村 正夫 | 昭和 25 | 電気工学科 |
林 文雄 | 昭和 25 | 電気工学科 |
間瀬 卓夫 | 昭和 25 | 電気工学科 |
伊藤 健男 | 昭和 26 | 電気工学科 |
沖辻 寛 | 昭和 26 | 電気工学科 |
奥村 義正 | 昭和 26 | 電気工学科 |
押田 安成 | 昭和 26 | 電気工学科 |
加藤 登 | 昭和 26 | 電気工学科 |
兼子 共明 | 昭和 26 | 電気工学科 |
阪口 貢 | 昭和 26 | 電気工学科 |
高木 博彦 | 昭和 26 | 電気工学科 |
成田 勇夫 | 昭和 26 | 電気工学科 |
林 正雄 | 昭和 26 | 電気工学科 |
原 行一 | 昭和 26 | 電気工学科 |
久富 道和 | 昭和 26 | 電気工学科 |
藤田 利夫 | 昭和 26 | 電気工学科 |
安田 丞善 | 昭和 26 | 電気工学科 |
吉野 毅 | 昭和 26 | 電気工学科 |
宇佐美 和保 | 昭和 28 | 電気工学科 |
嶋田 宏 | 昭和 28 | 電気工学科 |
社本 一郎 | 昭和 28 | 電気工学科 |
中村 好郎 | 昭和 28 | 電気工学科 |
山田 新一 | 昭和 28 | 電気工学科 |
山田 速水 | 昭和 28 | 電気工学科 |
山田 善朗 | 昭和 28 | 電気工学科 |
伊藤 英輔 | 昭和 29 | 電気工学科 |
井野 鐵彦 | 昭和 29 | 電気工学科 |
國島 尤 | 昭和 29 | 電気工学科 |
志賀 拡 | 昭和 29 | 電気工学科 |
七滝 健夫 | 昭和 29 | 電気工学科 |
都築 登 | 昭和 29 | 電気工学科 |
廣瀬 皓二 | 昭和 29 | 電気工学科 |
藤垣 節男 | 昭和 29 | 電気工学科 |
渡辺 康男 | 昭和 29 | 電気工学科 |
阿部 静基 | 昭和 30 | 電気工学科 |
石川 朝二 | 昭和 30 | 電気工学科 |
内田 忠良 | 昭和 30 | 電気工学科 |
加藤 規 | 昭和 30 | 電気工学科 |
加納 俊明 | 昭和 30 | 電気工学科 |
中條 栄夫 | 昭和 30 | 電気工学科 |
中西 洋二 | 昭和 30 | 電気工学科 |
浅井 利夫 | 昭和 31 | 電気工学科 |
梅村 英三 | 昭和 31 | 電気工学科 |
川井 一正 | 昭和 31 | 電気工学科 |
後藤 領次 | 昭和 31 | 電気工学科 |
辻村 尚明 | 昭和 31 | 電気工学科 |
堀尾 光廣 | 昭和 31 | 電気工学科 |
三ツ石 喜郎 | 昭和 31 | 電気工学科 |
新剛 実 | 昭和 32 | 電気工学科 |
大須賀 豊 | 昭和 32 | 電気工学科 |
岡野 修 | 昭和 32 | 電気工学科 |
久保 仁 | 昭和 32 | 電気工学科 |
中塚 茂 | 昭和 32 | 電気工学科 |
水谷 安郎 | 昭和 32 | 電気工学科 |
三輪 純一郎 | 昭和 32 | 電気工学科 |
森 千鶴夫 | 昭和 32 | 電気工学科 |
守山 茂一郎 | 昭和 32 | 電気工学科 |
山口 昌幸 | 昭和 32 | 電気工学科 |
伊藤 正秋 | 昭和 33 | 電気工学科 |
金谷 嘉博 | 昭和 33 | 電気工学科 |
高橋 等 | 昭和 33 | 電気工学科 |
寺林 康治 | 昭和 33 | 電気工学科 |
藤田 正浩 | 昭和 33 | 電気工学科 |
前島 一雄 | 昭和 33 | 電気工学科 |
芦崎 重也 | 昭和 34 | 電気工学科 |
伊藤 智彦 | 昭和 34 | 電気工学科 |
沢田 正弘 | 昭和 34 | 電気工学科 |
鈴木 倭 | 昭和 34 | 電気工学科 |
松田 功 | 昭和 34 | 電気工学科 |
森島 茂樹 | 昭和 34 | 電気工学科 |
山田 要 | 昭和 34 | 電気工学科 |
行本 貞夫 | 昭和 34 | 電気工学科 |
大谷 健嗣 | 昭和 35 | 電気工学科 |
岡田 昌孝 | 昭和 35 | 電気工学科 |
岡本 倫央 | 昭和 35 | 電気工学科 |
中西 和義 | 昭和 35 | 電気工学科 |
森田 甫之 | 昭和 35 | 電気工学科 |
小田 征一郎 | 昭和 36 | 電気工学科 |
神谷 昌宏 | 昭和 36 | 電気工学科 |
黒田 和助 | 昭和 36 | 電気工学科 |
五月女 久郎 | 昭和 36 | 電気工学科 |
田中 禎一 | 昭和 36 | 電気工学科 |
成瀬 孝夫 | 昭和 36 | 電気工学科 |
西村 秀夫 | 昭和 36 | 電気工学科 |
馬路 才智 | 昭和 36 | 電気工学科 |
増田 勝一 | 昭和 36 | 電気工学科 |
青山 春夫 | 昭和 37 | 電気工学科 |
久保村 徳太郎 | 昭和 37 | 電気工学科 |
野田 昭 | 昭和 37 | 電気工学科 |
水谷 欽弥 | 昭和 37 | 電気工学科 |
中谷 光男 | 昭和 38 | 電気工学科 |
加藤 勝英 | 昭和 39 | 電気工学科 |
高井 律男 | 昭和 39 | 電気工学科 |
田村 英也 | 昭和 39 | 電気工学科 |
水澤 健一 | 昭和 39 | 電気工学科 |
毛利 博 | 昭和 39 | 電気工学科 |
吉田 嶽彦 | 昭和 39 | 電気工学科 |
岩沢 允 | 昭和 40 | 電気工学科 |
大隅 東也 | 昭和 40 | 電気工学科 |
大西 旻 | 昭和 40 | 電気工学科 |
上羽 貞行 | 昭和 40 | 電気工学科 |
墨谷 真蔵 | 昭和 40 | 電気工学科 |
森川 貞夫 | 昭和 40 | 電気工学科 |
山口 善民 | 昭和 40 | 電気工学科 |
石丸 隆英 | 昭和 41 | 電気工学科 |
稲葉 次紀 | 昭和 41 | 電気工学科 |
大嶋 明 | 昭和 41 | 電気工学科 |
大島 俊蔵 | 昭和 41 | 電気工学科 |
神本 勝巳 | 昭和 41 | 電気工学科 |
後藤 淑 | 昭和 41 | 電気工学科 |
谷 辰夫 | 昭和 41 | 電気工学科 |
前越 久 | 昭和 41 | 電気工学科 |
松井 信行 | 昭和 41 | 電気工学科 |
八島 武久 | 昭和 41 | 電気工学科 |
伊藤 洋太郎 | 昭和 42 | 電気工学科 |
川島 征一郎 | 昭和 42 | 電気工学科 |
小島 一男 | 昭和 42 | 電気工学科 |
佐藤 和之 | 昭和 42 | 電気工学科 |
佐野 周造 | 昭和 42 | 電気工学科 |
佐原 定義 | 昭和 42 | 電気工学科 |
中山 静夫 | 昭和 42 | 電気工学科 |
吉村 洋典 | 昭和 42 | 電気工学科 |
宇佐美 忠男 | 昭和 42 | 電子工学科 |
重見 健一 | 昭和 43 | 電気工学科 |
牧野 正俊 | 昭和 43 | 電子工学科 |
菅野 究二 | 昭和 44 | 電気工学科 |
池田 一眞 | 昭和 45 | 電気工学科 |
加藤 友康 | 昭和 45 | 電気工学科 |
水田 武己 | 昭和 45 | 電気工学科 |
田坂 修二 | 昭和 46 | 電気工学科 |
蛭子 博志 | 昭和 47 | 電気工学科 |
金沢 秀喜 | 昭和 47 | 電気工学科 |
田島 耕一 | 昭和 47 | 電気工学科 |
大山 光男 | 昭和 47 | 電子工学科 |
川合 勝廣 | 昭和 47 | 電子工学科 |
前田 克民 | 昭和 47 | 電子工学科 |
北村 正 | 昭和 48 | 電子工学科 |
中島 正敏 | 昭和 48 | 電子工学科 |
米谷 忠俊 | 昭和 48 | 電子工学科 |
朝倉 吉隆 | 昭和 49 | 電子工学科 |
緒方 善郎 | 昭和 49 | 電子工学科 |
荻原 義也 | 昭和 50 | 電気工学科 |
眞鍋 和人 | 昭和 50 | 電気工学科 |
丸山 実 | 昭和 50 | 電子工学科 |
浜岡 重男 | 昭和 50 | 電子工学科 |
廣瀬 光利 | 昭和 50 | 電子工学科 |
岩波 保則 | 昭和 51 | 電気工学科 |
糸見 義雄 | 昭和 51 | 電気工学科 |
平川 一郎 | 昭和 51 | 電気工学科 |
宮脇 誠 | 昭和 52 | 電子工学科 |
塩見 佳久 | 昭和 52 | 情報工学科 |
山中 清 | 昭和 52 | 情報工学科 |
川端 宏和 | 昭和 54 | 電気工学科 |
吉田 誠治 | 昭和 54 | 電気工学科 |
鶴見 潔 | 昭和 54 | 情報工学科 |
酒井 公孝 | 昭和 54 | 情報工学科 |
粟津 茂樹 | 昭和 55 | 情報工学科 |
石橋 豊 | 昭和 56 | 情報工学科 |
安藤 幹人 | 昭和 57 | 電気工学科 |
谷本 弘二 | 昭和 57 | 電気工学科 |
野口 敏彦 | 昭和 57 | 電気工学科 |
堀尾 一也 | 昭和 57 | 電気工学科 |
菊間 信良 | 昭和 57 | 電子工学科 |
内匠 逸 | 昭和 57 | 電子工学科 |
星野 昭広 | 昭和 58 | 電気工学科 |
松尾 啓志 | 昭和 58 | 情報工学科 |
徳田 恵一 | 昭和 59 | 電子工学科 |
平野 智 | 昭和 60 | 電子工学科 |
熊﨑 昭 | 昭和 61 | 電気工学科 |
高石 一慶 | 昭和 61 | 電気工学科 |
犬塚 信博 | 昭和 62 | 情報工学科 |
林 宏明 | 平成 1 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
黒柳 奨 | 平成 3 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
匿名希望 | 平成 3 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
晦日 善行 | 平成 5 | 電気情報工学科 (電気・電子) |
伊藤 暢浩 | 平成 6 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
小坂 卓 | 平成 6 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
後藤 富朗 | 平成 8 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
橋本 修一 | 平成 8 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
西尾 孝始 | 平成 11 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
立松 岳史 | 平成 15 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
新年度が始まり,電影会関連の学科の担当も以下のようになりました.
最終更新 : 2006年 2月22日 (水) 19:57:18