小学2年で38度線を脱走しました。昭和21年6月の事です。今の北朝鮮、元山と云う港町から山に隠れて夜、夜、歩きました。ソ連兵に見つかると直ぐ殺されると皆、思っていました。道の無い山の斜面、でも懐中電灯も使えません。一晩歩いて4~5Km位しか進まなかったでしょう。10日間もかかりました。周りの日本人は皆引き揚げてしまい、我々30人は最後の脱走組みです。どの家庭も出征した父を待ち続けた、母と子、老人だけのグループでした。闇夜の晩、我々が突破した38度線の、その場所は、コンクリート製のU字溝でした。深さが2mも有ったでしょう。一斉に溝に飛び込んだ瞬間、機関銃でバリバリ、バリバリッと撃ってきました。真上からでないと、弾はなかなか中りません。短時間の射撃で終り、命からがら助けあって子供達から先に反対側に押し上げて逃げました。威嚇射撃だけだったのでしょうか。最大の難関は命を落とさず突破しました。が、此処に辿り着く迄に、崖で足を滑らせて海に落ちた小さな子と、急な斜面で体力が続かず自ら列を離れた高齢のおじいさんを失ってしまいました。親切な北朝鮮の道案内に多額の金を払っての事です。
直ぐに南側に陣取る米軍に助けられて母の里、広島に辿り着けたのです。命拾いはしたものの、家を捨て父を失った我が家には妹2人を含め戦後のドサクサは大変厳しい物でした。田舎ではよくある離れ式の風呂場の脱衣場(4畳半)に4人です。そんな時、なんと有り難い事に町内の皆さんの計らいで母は教員に復職させて貰えたのです。自ずと家の事は子供達にまわりました。1年生の妹は下の妹をおんぶして炊事、洗濯、風呂焚きです。おんぶしたまま学校にも行くので、背中はよく、おしっこで遣られていました。私は畑仕事の手伝いで、来る日も来る日も田んぼで明け暮れていました。
高校に入った時です、物理の山田先生の計らいで住み込みの家庭教師を頂きました。隣町の松坂社長にお世話になったのです。全員で飛び上がって喜びました。一人の食い扶持が減せただけで無く、狭い4畳半から一人抜けたのは画期的です。暖かい布団、白いご飯、妹を思うとかわいそうでした。
でも、やはり待っていたのは浪人でした。
思案していると、どう話が聞こえたのか今度は目黒の若杉和尚に手を差し伸べて貰う事になりました。
父の最後の地となった延吉収容所まで共に戦った戦友です。奇跡的に帰還できたお坊さんです。貧しい戦友のせがれを家賃なしで寺の隅に置いて呉れました。予備校の在る東京で24時間勉強できる場所を得て、何のためらいも無く詰め込みまくった1年です。同じ境遇の大学生がもう一人居て少し安堵したものです。こうした助けに支えられ、名工大まで卒業する事ができたのです。仕事は主に外回り(エジプト、米国、シンガポール、南ア、メキシコ等)で思う存分働きました。
少年時代、その時々に、一つ一つが只嬉しくアッ!良かったと思ったものです。こうして古希も過ぎ振り返ると、それらが一つにまとまって、感謝の気持ちで一杯です。何と言って感謝すれば良いのか、その言葉も見つかりません。自分の生活だけで汲々とした終戦後、他人の面倒をみる大胆さ、他人のつらさ苦労を思い遣る心遣い、私を引っ張り続けて呉れた【足なが伯父さん】達です。
名古屋工業大学では、平成17年度より国際交流センターを設置し、本学の国際化や国際競争力の強化を図っています。この国際交流センターのセンター長を18年度より2年間務め、また、20年度からは国際化に関連して学長補佐を拝命しております立場から、近年の本学の国際化の取り組み状況や国際化戦略に関してご紹介させていただきます。
国の国立大学は、独立行政法人化されて以来、存続を賭けた競争を展開しております。特に文部科学省の垣根が無くなった今は、その競争の範囲が、国内から一気に世界へと広がり、この結果、どの大学も世界の中での各自のポジションを確立しなければならなくなりました。このような大学を取り巻く国際化の流れの中で、各国立大学は国際的に優れた研究や国際的に優れた教育を行い、世界的に高い評価を受ける大学へと自ら変革することが求められています。このようなことから、名古屋工業大学では、国際交流センターを設置し、この4年間、国際競争力の強化を推進して参りました。そこで、まずは国際化に関する本学の近年の頑張り状況をいくつかの数値でご紹介いたします。
ず、留学生数ですが、平成16年度時点で253名であった本学の留学生数は、現在では388名にまで急激に増加しました。日本国から奨学金が支払われる国費留学生の数も、平成16年度の39名から75名へと約2倍に増加し、本学の留学生が量、質、共に向上している様子がわかります。海外大学との学術交流協定数も平成16年度の27件から50件へと急増し、海外の企業や研究所と実施する国際産学官共同研究も、この4年間で10件が新たに開始されるなど、研究面での国際化も進み出しました。
特に本学の留学生数の増加には目をみはるものがありますが、これは、名古屋工業大学の存在やその実力が世界的に知られつつあることを表しています。名古屋工業大学は、国内や中部地域においては、古くより確固たる地位を確立していますが、世界的にはほとんど無名の大学でした。この名古屋工業大学の世界における知名度が近年大きく向上し、今では多くの留学生が本学への留学を希望する状況となっています。近年のこのような大きな変化は、ここ数年進めてきた以下に述べる国際化の取り組みが実を結びつつあると考えられます。
大学の国際化は様々な視点から述べることができますが、ここでは、教育の国際化、研究の国際化、社会貢献の国際化の3つの視点から本学の取り組みをご紹介いたします。教育の国際化とは、世界中の学生が名古屋工業大学で勉強したくなるような魅力ある教育を実施し、また、卒業後に国際的に活躍する有為な人材を育成することにあります。このために、名古屋工業大学では、新たに幾つかの新しい国際教育プログラムを開設しました。これらの教育プログラムは、我が国の大学としては初めてのものや、類例の極めて少ない取り組みであり、高い評価を受けています。
まずは、下の図に示す、アジア人財資金構想「自動車産業スーパーエンジニア養成プログラム」についてご紹介します。これは、経済産業省と文部科学省の両省の支援のもとで開設した新しい国際大学院教育プログラムです。アジア各国の優秀な留学生に対して本学において通常の大学院教育に加えて自動車に関連する教育を実施し、卒業後には日本の自動車産業界、あるいは母国の日系企業において活躍してもらうことを狙いとした教育プログラムです。
このプログラムは平成19年度より開設し、この3月に第1期生が卒業しますが、全員、日本企業への就職が内定しており、今後の活躍が期待されています。教育内容は産学連携で開発実施しており、即戦力となる優秀な留学生の育成を行っています。また、海外の有力大学と連携することで優秀な留学生を選抜する仕組みも作っています。この結果、中国の復旦大学、シンガポールのシンガポール大学、タイのチュラロンコン大学、ベトナムのハノイ工科大学など、アジア各国のトップ大学出身の優秀な留学生たちがこのプログラムで勉強しています。
このアジア人財プログラムの他にも、国際的に大学間で編転入を行うツイニングプログラムや、一度に2つの学位が取得できるダブルディグリープログラムなど、新しくかつ魅力ある教育プログラムを開設し、優秀なグローバル人材の育成に努めています。
また、研究の国際化に関しては、セラミックス分野、パワーエレクトロニクス分野、ナノサイエンス分野、バイオフィジックス分野、メディア情報分野などにおいて、海外大学や海外企業との共同研究が進みつつあり、徐々にではありますが、国際化が進みつつあります。
社会貢献の国際化という点では、本学は戦乱地域の戦後復興支援や発展途上国支援などの国際社会貢献を進めており、特に平成18年度からは、戦乱で荒廃したアフガニスタンのカブール大学の教員を育成する事業を開始しました。
このように、名古屋工業大学では、近年、様々な面での国際化を展開しつつありますが、まだまだ発展途上の段階でもあります。今後、地域や産業界とタイアップしたさらなる国際化を進め、世界で確たる評価を得る大学へと成長することが望まれます。それに向けて同窓会の皆様にも引き続きご支援頂ければ有り難く存じます。名古屋工業大学では、各国において海外同窓会を設立しつつありますが、このような活動を通して、日本国内だけでなく世界に広がる卒業生の皆様との連携が、今後ますます進展していくことを大いに期待しております。
20号館は、昭和49年情報工学科(現在の情報工学科とは異なるので、旧をつけて表すことにします)創設に伴って昭和48年に建設されました。筆者は昭和59年4月に旧情報工学科に赴任して、この20号館4階に入居して以来この3月でちょうど25年になります。赴任当時20号館は名工大キャンパスの中で最も新しい建物だったのですが、今回の改修時には、一番古い建物のひとつとなっていました。今回の改修によって、20号館は新しく生まれかわるのを機会に、20号館の住人として、この建物について振り返ってみたいと思います。
20号館には、建設当時は、旧情報工学科(5講座)と情報処理教育センター(現在の情報基盤センター)が入っていました。筆者が赴任当時20号館におられ、現在も20号館に居住されているのは、田坂副学長(当時、助教授)と岩田教授(当時、講師)と筆者(当時、講師)の3名になってしまいました。当時センターの助手をやられていた神藤教授もこの3月御定年で時の流れを感じずにはおれません。
20号館における旧情報とセンターの占有スペースに関しましては、帳簿には表れない微妙な部分が多々あったのですが、筆者はその詳細を述べるほど理解していませんので、ここでは述べられません(これはやはり田坂先生にお聞きするしかないかと...)が、今回の改修によってその問題は完全解決にいたりました。今回の20号館改修は耐震補強もさることながら、そのスペース問題の解決が一番ではなかったかと思っています。
20号館正面玄関向かって右にこの時期とてもきれいな桜があります。今回の改修のため桜は切られるということだったのですが、改修後依然として残されていました。この桜は旧情報の時代から今日までずっと20号館を見守っていたと思うと、切られずに残されたのはどなたかの考慮かなと感謝しています。実はあと10年たつと、旧情報の教員はすべて20号館をさることになるのですが、この桜だけはこれからも20号館が存在するかぎり、学科が再び変わっても、永遠に見守っていてくれるのではないかと期待しています。
変わる代(よ)を 永遠(とわ)に見守る 桜かな
名古屋工業大学では2007年4月から情報基盤システムを一新し教育用の計算機約600台をシンクライアント化し、Course Management System(CMS)としてMoodleを新たに導入した。さらにこれを教務システムと連携させ大学院を含む全コース(2008年度現在1735コース)をMoodleに載せた。またICカードとシングルサインオンによる認証が導入され、これによって教員や学生は学外からも簡単にMoodleを使うことができる環境が整備された。ログインすると、学生も教員もそれぞれのポータルサイトに接続し、そこから各自のMoodleコースに直接入れるようになっている。Moodleを用いる教育環境としては最適の環境が整ったと言っても過言ではない。
ところでMoodleはModular Object-Oriented Dynamic Learning Environmentの略であるが、WebCT、Blackboard、WebClassなどと同様、CMS の一つである。しかし、社会的構造主義に基づいて開発されたMoodleは、フリーソフトウェアの理念に従った修正・再配布自由なシステム構築を目的とするGNU規格に基づくソフトウェアであり、他の商業ベースで開発されたCMSとは異なる特徴がある。即ち、コストがほとんどかからないこと、コース管理にはプログラミングの知識は要らず教員が比較的容易にできること、オープンソースであるため順次改良が施され、さらにそれぞれの学習環境に適した作りこみが可能であること、このような点である。
以上述べたようなメリットから、Moodleはここ数年世界中の教育機関に急速に広がりを見せ、2008年12月現在、全世界で250万以上のコースに2800万人近い人がユーザー登録をしている。日本においても大学/高等専門学校等、多くの教育機関で広範に利用され始めている。また、これまで日本のICT教育を牽引してきた独立行政法人メディア教育開発センター(NIME)も2007年にMoodle を利用して学習教材を配信するUPO-NET (オンライン学習大学ネットワーク)を開設し、各大学のMoodle 上にあるコンテンツを集約して公開し、あらゆる教育機関に対して無償で提供している。
Moodleには、フォーラムやワークショップのような、教員と学生、あるいは学生同士の双方向的なコミュニケーションを可能とする機能が豊富である。これらの機能を使えば、個々の学生が自主的に授業に参加し、学生同士が相互に応答したり評価したりすることができる。また音声ファイル等様々なファイルをリソースとして載せることも容易だ。この様に、ネットワークを介して授業の活性化を図る協調学習のツールとして、また様々な学習教材や異なる学習活動に導くゲートウェイとしてMoodleは教育内容を豊かにする大きな可能性を持っている。
上記のようにMoodleは日本においてもICT教育に最適なCMSの一つとしてその地位を定着させつつあるが、名工大では2008年度まだ全教員の約4分の1が使用しているに過ぎず、現段階では教員がそれぞれ試行錯誤の中で使っている状況と言って良いだろう。しかし、Moodleを全学の教育の基本的プラットフォームとして持っている大学は、日本でもまだ数える程しかない。Moodleの導入が、今後、名工大の「教育のスキルと効果」の向上に繋がっていくことは間違いない。
2008年11月5日、「名工大・名市大 合同テクノフェア」が名古屋工業大学と名古屋市立大学の共同主催により吹上ホールにて開催されました。これは、両大学が2007年12月5日に「相互の連携・協力の推進に関する協定」を締結したことを受け、テクノフェアを共同開催する運びとなったことによります。
本年度は、両大学の有する研究シーズや連携した研究成果などを外部に向かって広く公開し、産学連携を推進することを目的とし、メインテーマを「産学官連携が創造する未来」としました。これに基づき、田口康氏(文部科学省研究振興局研究環境・産業連携課長)に「我が国の産学官連携の将来像について」と題した特別講演を行って頂くとともに、産学官連携功労者表彰の受賞を記念して梅崎教授には「産学連携の成功と失敗の分れ目?」と題した記念講演を行って頂きました。
ブース展示においては、藤本教授らの「インテリジェント手術機器研究開発プロジェクト」など既に産学官連携研究として成功を収めつつある20シーズを「トピックス」と位置づけ展示したほか、「ライフサイエンス」「物質・化学」「電気・電子・情報」「生産・機械」「都市・建築」に分類した展示を行いました。なかでも電気・電子・情報に関する展示は40/126件と多くのシーズ展示を行っていただきました。また、展示よりも詳細な説明を行う目的で、岩田(彰)教授・佐藤(淳)教授・新谷教授による「IT関係」のシーズ発表会のほか3分類のシーズ発表会を開催しました。シーズ展示・発表会会場では各シーズについて積極的なPRが行われ、活発な質疑応答がなされていました。
本年度のテクノフェアは、2大学の共同開催であることもあり、企業関係者345名を含む合計756名の参加と例年以上の集客があり、会場内は終日賑わいを見せていました。
私の青春時代(昭和40年代前半)はいわゆる大学紛争の真只中にあり全共闘、中核派、革マルなどの学生活動家らが大学改革、社会改革を主張して全国の大学をバリケード封鎖していた時代であった。その後、昭和44,45年にかけて大学への機動隊導入により大学封鎖が次々解除される訳であるが(東大安田講堂事件はその象徴的事件である)、今から考えると日本中が一種の熱病に冒されたような異常な状態にありまさに激動と混乱の時代であった。当然、講義などはなくノンポリの私でも学生集会や仲間たちとの討論に明け暮れる毎日で、その合間に申し訳程度に卒業研究をするといった状態で卒業式も中止となる有様であった。そうした状況下、昭和45年4月、電電公社武蔵野電気通信研究所に入所し5年ほどデータ通信(DIPSプロジェクト)の仕事に従事していたが大学時代の恩師の岩住先生のお誘いで昭和49年10月に共通講座教室の助手として名工大に赴任した。それ以降、情報処理教育センター、電気情報工学科、電気電子工学科と渡り歩き35年目の今年、定年を迎えることになった。その間、岩住先生時代も含めると何百人という卒業生が研究室を巣立ち産業界の第一線で活躍している。これまでの大学生活を振り返り、昔(赴任当時)と今の学生気質の変遷について、紙面の都合もあるので独断と偏見も交えつつ対比づけて簡単にお話してみたいと思う。
国立大学が一期校、二期校に区分され本校は二期校(このことを知っている人はもはや少数派)であった。運悪く一期校落ちした優秀な学生が多数在籍していたが一方では学生個々の学力のばらつきも大きかった。出身地も東海地方のみならず近畿、四国、九州地方など広範囲に及んでおり本校は全国区としての地位を保っていた。
研究室の学生も一講座(教授・助教授・助手)あたり10人前後(卒研生、院生それぞれ数人ほど)で学生の学力、性格に応じたキメの細かい丁寧な研究指導が可能であった。また当時は年齢差があまりなかったこともあるがこちらも教師と学生の立場でなく学生たちと同じ目線で相談に乗ったり討論したりと今となっては懐かしくも古き良き時代であった。
学生も入学時に一度挫折を経験しているためか卒業後、負のエネルギーをバネとして社会の中核として活躍しているOBが多いようである
また個性的で野性味溢れる学生が多く時事問題にも興味を示しつつ、専門書、文芸書など手広く読書するなどいわゆる活字に親しんでいた世代でもある
学力偏差値に基づいた高校、予備校の徹底した進路指導によりある程度学力が均等化された学生が多数入学、また少子化の影響もあり学生の出身地は東海3県が大部分を占め全国区から地元の大学への傾向がより強まった時代である。
大学院進学者の増加などに伴い教官一人当たりの指導人数も徐々に増え、以前のようなキメの細かい研究指導が時間的にも能力的にも困難になった。特にここ数年間では4年生、院生ふくめると十数名にも達しリクルータで来校した数年前の研究室OBの顔と名前が一致しないという笑えない事態にも陥っている
厳しい受験、評価の波をくぐってきたせいかマイナスやミスを恐れるあまり考え方が減点志向になっていて若者らしい奔放さ、斬新らしさが感じられない学生が多く、またミー・イズムの傾向も強い
総じて時事問題にも殆ど関心を示さず、活字媒体としての本や新聞より電子本や漫画・コミックなどを好む活字離れ世代の学生が多い。また主なコミュニケーション手段はパソコン、携帯を駆使してのメールやSNS、ブログなどの現実感を伴わないバーチャルコミュニケーションであり、そのため人間関係がうまく作れず自分の殻に閉じこもる内向き志向の学生も増えている
一般的に真面目で素直な学生が多く指示されたことはそつなくこなすがそれ以上のことは積極的に行わず自主性にかける傾向がある
どうも総体的に昔の学生に甘く今の学生に厳しいコメントになってしまったが年寄りの懐古趣味の成せる業と考えて何卒ご容赦願いたい。最近マスコミでも話題になっているが現代の世相を反映したいわゆる草食系男子(優しく家庭的、恋愛には消極的、節約第一、ファッションや趣味にエネルギーを注力)やミニマムライフ世代(バブル崩壊後に青少年期を過ごしたため収入の殆どを貯蓄、浪費を避けるため休日は家でパソコンゲームなどで過ごす、世界志向・海外旅行・自動車・酒・タバコなどに興味を示さない内向き志向世代)の若者が増加してきており、このような世代の出現が日本の今後の社会動向、経済情勢にどのような影響を与えていくのか大変興味深く、また日本の将来を考える上ではある意味深刻な問題ではある。
定年退職を迎えるにあたり、多くの方々に送別会を開いていただいた。その中でも強く印象に残ったのは、研究室の皆さんによる送別会であった。研究室のOBも大勢出席してくれて、本当に楽しい会合でした。次々とお祝いの挨拶に皆さんが寄って来てくれて、昔話に花を咲かせることができました。その中で大勢のOBの皆さんが、学生時代厳しく指導されたことを嬉しそうに話をしてくれました。「平井さん(ちなみに、研究室では教員も“さん”付けで呼ぶようにしている)の前で話をするときは手が震えていました。」とか、「ゼミの時に突っ込まれて気を失う寸前でした。」とか、さも私が悪魔のような存在だったような話をしてくれました。しかし、そのように厳しく接していた皆さんが大勢出席してくれて、楽しい思い出のように話をしてくれました。私も若いころに会社で先輩から厳しく指導を受けたことが何度もありました。厳しく叱られた時は“こんちくしょう、なんで僕が叱られなきゃならんのだ”と思ったりしていました。しかし、自分自身が年を重ね、その時その場面になってはじめてあの人はこのような考えて私を叱ってくれたんだと、何度も気づかされ、改めて叱ってくれた先輩に感謝をしていました。人を叱ることは自分にとっても大きな苦痛を伴いますが、いずれ分かってもらえるだろうと思って、大学でもなるべく嫌われ役を演じてきました。今回、そのように厳しく叱られたOBの皆さんがそのことに気がついてくれたことが私にとって最も大きな喜びでした。定年退職を迎えるにあたり、今後はなるべく皆さんに好かれるようにしようかどうか迷っています。
科目 | 収入 | 科目 | 支出 |
---|---|---|---|
繰越金 | 7,222,964 | 通信費 | 540,510 |
入会金 | 1,540,000 | 印刷費 | 471,053 |
工業会より | 70,500 | 事務費 | 23,378 |
利息 | 1,945 | 会合費 | 209,489 |
雑収入 | 31,000 | 学生行事費 | 994,690 |
寄付金 | 919,430 | 大学行事費 | 135,000 |
総会補助 | 215,828 | ||
支部活動費 | 250,000 | ||
インターネット経費 | 250,832 | ||
雑費 | 27,000 | ||
人件費 | 300,000 | ||
繰越金 | 6,367,559 | ||
合計 | 9,785,339 | 合計 | 9,785,339 |
科目 | 収入 | 科目 | 支出 |
---|---|---|---|
繰越金 | 6,367,559 | 通信費 | 600,000 |
入会金 | 1,575,000 | 印刷費 | 470,000 |
工業会より | 70,000 | 事務費 | 30,000 |
利息 | 1,500 | 会合費 | 300,000 |
雑収入 | 0 | 学生行事費 | 1,000,000 |
寄付金 | 1,000,000 | 大学行事費 | 200,000 |
総会補助 | 240,000 | ||
支部活動費 | 250,000 | ||
インターネット経費 | 250,832 | ||
雑費 | 100,000 | ||
人件費 | 300,000 | ||
繰越金 | 5,274,059 | ||
合計 | 9,014,059 | 合計 | 9,014,059 |
昨年度の入試状況と就職状況は以下の通りです.
推薦 | 前期日程 | 後期日程 | |
---|---|---|---|
募集人員 | 10 | 104 | 25 |
志願者数 | 39 | 273 | 247 |
受験者数 | 39 | 264 | 125 |
合格者数 | 11 | 104 | 36 |
推薦 | 前期日程 | 後期日程 | |
---|---|---|---|
募集人員 | 20 | 94 | 50 |
志願者数 | 49 | 190 | 235 |
受験者数 | 49 | 173 | 115 |
合格者数 | 22 | 99 | 51 |
募集人員 | 志願者数 | 受験者数 | 合格者数 |
---|---|---|---|
5 | 31 | 28 | 6 |
電気電子工学科 | 情報工学科 | |
---|---|---|
募集人員 | 若干名 | 若干名 |
志願者数 | 21 | 24 |
受験者数 | 19 | 24 |
合格者数 | 4 | 5 |
電気電子 (一部) | 電気情報 社会人 (二部) | 情報 (一部) | |
---|---|---|---|
募集人員 | 若干名 | 若干名 | 若干名 |
志願者数 | 41 | 5 | 21 |
受験者数 | 39 | 5 | 20 |
合格者数 | 9 | 2 | 3 |
推薦 | 一般選抜 | 私費留学生 | |
---|---|---|---|
募集人員 | 42 | 78 | 若干名 |
志願者数 | 35 | 155 | 10 |
受験者数 | 35 | 152 | 10 |
合格者数 | 34 | 119 | 6 |
募集人員 | 志願者数 | 受験者数 | 合格者数 |
---|---|---|---|
5 | 5 | 5 | 5 |
電気電子工学科 | 情報工学科 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
大学院 | 一部 | 二部 | 大学院 | 一部 | 二部 | |
卒業者 | 96 | 152 | 31 | 87 | 169 | 12 |
進学者 | 2 | 104 | 4 | 8 | 116 | 3 |
研究生 | - | 1 | 1 | - | 3 | - |
一般企業 | 91 | 41 | 20 | 66 | 41 | 7 |
公務員 | - | 1 | 1 | 2 | 1 | - |
教員 | - | - | - | - | - | - |
帰国(留学生) | - | 2 | - | 2 | - | - |
休学他 | 3 | 3 | 5 | 8 | 7 | 2 |
未定者 | - | - | - | 1 | 1 | - |
表彰名 | テーマ名 | 受賞者/指導教員 |
---|---|---|
電気学会産業応用部門 平成19年部門優秀論文発表賞 2008年 6月 | 複素座標変換を用いた三相/三相マトリックスコンバータの共振抑制制御 | 布川 智康 (情報工学専攻 M2) 指導教員: 竹下 隆晴 |
DICOMO2008優秀プレゼンテーション賞 2008年 7月 | 内部攻撃を検知可能なモバイル端末向け動的グループ鍵共有プロトコル | 村田 純一 (情報工学専攻 M1) 指導教員: 白石 善明 |
環境電磁工学研究会(EMCJ)若手奨励賞 2008年 7月 | GHz帯遠方界曝露の9ヶ月幼児モデルに対する全身平均SARのFDTD計算 | 伊藤 亨基 (情報工学専攻 M1) 指導教員: 藤原 修 |
環境電磁工学研究会(EMCJ)若手奨励賞 2008年 7月 | 帯電人体からの接触電流のFDTDシミュレーション | 永井 稔大 (情報工学専攻 M1) 指導教員: 平田 晃正 |
DICOMO2008優秀論文賞 2008年 8月 | 内部攻撃を検知可能なモバイル端末向け動的グループ鍵共有プロトコル | 村田 純一 (情報工学専攻 M1) 指導教員: 白石 善明 |
学生奨励賞,合同エージェントワークショップ&シンポジウム(JAWS2008) 2008年10月 | 電子商取引ネットワークにおけるユーザ評価指標の提案 | 小林 真雄 (産業戦略工学専攻 M1) 指導教員: 伊藤 孝行 |
第26回電気設備学会全国大会発表奨励賞 2008年11月 | 実測データによる家電機器の高調波電流の重畳係数 | 成瀬 太一 (電気電子工学科 4年) 指導教員: 鵜飼 裕之 |
平成20年度電気関係学会東海支部連合大会 電気学会論文発表賞B賞 2008年12月 | 波動歯車装置における角度伝達誤差のモデル化と補償 | 山元 純文 (情報工学専攻 D2) 指導教員: 岩崎 誠 |
平成20年度電気関係学会東海支部連合大会 電気学会論文発表賞B賞 2008年12月 | 事変重みを課した指令生成によるテーブル駆動系の残留振動抑制 | 川瀬 大介 (情報工学専攻 M2) 指導教員: 岩崎 誠 |
Best Student Paper Award, The 6th International Symposium on Chinese Spoken Language Processing (ISCSLP 2008) 2008年12月 | Simultaneous phrasing, prosody and acoustic model training for text-to-speech conversion | 大浦 圭一郎 (情報工学専攻 D2) 指導教員: 徳田 恵一 |
「学生ビジネスアイデア」優秀賞 2009年 1月 | 医療現場のニーズから生まれた体性感覚回復リハビリシステム | 山﨑 一徳 (Ⅱ部電気情報工学科 5年) 指導教員: 森田 良文 |
電気関係学会東海支部連合大会 連合大会奨励賞 2009年 1月 | N.Nを用いたジャンケンの画像認識 | 諫山 大輔 (情報工学科 4年) 指導教員: 梅崎 太造 |
平成20年度電気関係学会東海支部連合大会 IEEE名古屋支部学生奨励賞 2009年 1月 | 複数論点交渉問題における分散メディエータに基づく交渉手法の提案 | 藤田 桂英 (産業戦略工学専攻 M1) 指導教員: 伊藤 孝行 |
平成20年度電気関係学会東海支部連合大会 電気学会B賞 2009年 1月 | 非干渉制御による可変ギア伝達機構付電動パワーステアリングの操作感性改善の実験検証 | 横井 彰敏 (情報工学専攻 M2) 指導教員: 森田 良文 |
平成20年度電気関係学会東海支部連合大会 連合大会奨励賞 2009年 1月 | 3次元リハビリ訓練支援ロボットを用いた筋力評価支援システムの提案 | 古橋 裕一 (情報工学専攻 M1) 指導教員: 森田 良文 |
電気関係学会東海支部連合大会奨励賞 2009年 1月 | カメラ撮影した連続画像を通信路とするデータ伝送方式の検討 | 山下 真生 (情報工学科 4年) 指導教員: 白石 善明 |
インターネットアーキテクチャ研究会学生研究奨励賞 2009年 1月 | BISCAL: Bit Vector Based Spatial Calculus for Analyzing the Mis-configurations in Firewall policies | SUBANA THANASEGARAN (情報工学専攻 M2) 指導教員: 高橋 直久 |
「第6回キャンパスベンチャーグランプリ(CVG)中部」特別賞中部経済連合会会長賞 2009年 2月 | 医工連携の特徴を生かした感覚回復リハビリシステムの開発と販売 | 山﨑 一徳 (Ⅱ部電気情報工学科 5年) 指導教員: 森田 良文 |
電気学会東海支部長賞 2009年 3月 | 自動車エンジン用電磁駆動バルブのためのリニア振動アクチュエータの高推力化 | 小林 弘樹 (電気電子工学科 4年) 指導教員: 森田 良文 |
平成20年度電子情報通信学会東海支部卒業研究発表会口頭発表部門優秀賞 2009年 3月 | MIMO-OFDMA下りリンクにおけるユーザリソース割り当ての高効率化に関する研究 | 不破 康宏 (電気電子工学科 4年) 指導教員: 岡本 英二 |
平成20年度電子情報通信学会東海支部卒業研究発表会ポスター発表部門最優秀賞 2009年 3月 | SC-FDEにおける高精度チャネル等化手法に関する研究 | 元川 大路 (電気電子工学科 4年) 指導教員: 岡本 英二 |
第22回エレクトロニクス実装学会講演大会研究奨励賞 2009年 3月 | ディジタルICの放射サセプタビリティに対する電磁界結合特性 | 孫 ジン (情報工学専攻 M2) 指導教員: 王 建青 |
日本音響学会第19回ポスター賞 2009年 3月 | 声質変換における時系列マッチングを含む統計モデルの拡張 | 油谷 かおり (創成シミュレーション工学専攻 M1) 指導教員: 徳田 恵一 |
第24回電気通信普及財団賞(テレコムシステム技術学生賞) 2009年 3月 | 複数論点交渉問題におけるエージェントの効用空間の公開範囲に基づく交渉手段の実現 | 藤田 桂英 (産業戦略工学専攻 M1) 指導教員: 伊藤 孝行 |
平成20年度IPSJ論文船井若手奨励賞 2009年 4月 | Detection of Conflicts Caused by a Combination of Filters Based on Spatial Relationships | 殷 奕 (情報工学専攻 D3) 指導教員: 高橋 直久 |
以下の方々より寄付をいただきました.ご高配に厚く御礼申し上げます.
氏名 | 卒業年度 | 学科 |
---|---|---|
井上 丈太郎 | 昭和 13 | 電気工学科 |
大原 栄 | 昭和 13 | 電気工学科 |
菊地 秀樹 | 昭和 14 | 電気工学科 |
多田 良之 | 昭和 14 | 電気工学科 |
蛭川 達雄 | 昭和 14 | 電気工学科 |
阿部 勝美 | 昭和 16 | 電気工学科 |
井上 順弘 | 昭和 16 | 電気工学科 |
今井 威昌 | 昭和 16 | 電気工学科 |
杉山 貞夫 | 昭和 16 | 電気工学科 |
炭谷 己代治 | 昭和 16 | 電気工学科 |
辻 良男 | 昭和 16 | 電気工学科 |
水野 宏行 | 昭和 16 | 電気工学科 |
横井 實 | 昭和 16 | 電気工学科 |
宮田 清 | 昭和 17 | 電気工学科 |
山本 富男 | 昭和 17 | 電気工学科 |
青木 保 | 昭和 18 | 電気工学科 |
大場 鋭吉 | 昭和 18 | |
小川 澄三 | 昭和 18 | 電気工学科 |
桜井 尚 | 昭和 18 | 電気工学科 |
中村 正 | 昭和 18 | 電気工学科 |
本間 吉夫 | 昭和 18 | 電気工学科 |
今井田 正敏 | 昭和 19 | 電気工学科 |
伊藤 博英 | 昭和 20 | 電気工学科 |
高橋 裕三 | 昭和 20 | 電気工学科 |
早川 欽也 | 昭和 20 | 電気工学科 |
松本 淦弥 | 昭和 20 | 電気工学科 |
伊藤 光芳 | 昭和 21 | 電気工学科 |
柘植 基次 | 昭和 21 | 電気工学科 |
石川 幸雄 | 昭和 22 | 電気工学科 |
市川 儀男 | 昭和 22 | 電気工学科 |
伊藤 季彦 | 昭和 22 | 電気工学科 |
稲垣 米一 | 昭和 22 | 電気工学科 |
石黒 昌子 | 昭和 22 | 電気工学科 |
臼杵 謙治 | 昭和 22 | 電気工学科 |
大橋 五郎 | 昭和 22 | 電気工学科 |
大前 三千男 | 昭和 22 | 電気工学科 |
神谷 昭美 | 昭和 22 | 電気工学科 |
佐藤 和夫 | 昭和 22 | 電気工学科 |
玉田 博二 | 昭和 22 | 電気工学科 |
西川 清司 | 昭和 22 | 電気工学科 |
原口 泰三 | 昭和 22 | 電気工学科 |
三木 忠夫 | 昭和 22 | 電気工学科 |
新井 允之 | 昭和 23 | 電気工学科 |
伊藤 敞夫 | 昭和 23 | 電気工学科 |
岡本 兼喜 | 昭和 23 | 電気工学科 |
加藤 文男 | 昭和 23 | 電気工学科 |
熊崎 憲次 | 昭和 23 | 電気工学科 |
小柴 博 | 昭和 23 | 電気工学科 |
櫻井 秋麿 | 昭和 23 | 電気工学科 |
田中 三男 | 昭和 23 | 電気工学科 |
中井 二夫 | 昭和 23 | 電気工学科 |
堀 彦兵 | 昭和 23 | 電気工学科 |
松下 昭 | 昭和 23 | 電気工学科 |
水谷 末一 | 昭和 23 | 電気工学科 |
吉田 昭二 | 昭和 23 | 電気工学科 |
分部 力 | 昭和 23 | 電気工学科 |
岩田 昭三 | 昭和 24 | 電気工学科 |
田坂 弘次朗 | 昭和 24 | 電気工学科 |
田中 督啓 | 昭和 24 | 電気工学科 |
守友 孝夫 | 昭和 24 | 電気工学科 |
青山 春彦 | 昭和 25 | 電気工学科 |
泉舘 昭則 | 昭和 25 | 電気工学科 |
荻野 孝 | 昭和 25 | 電気工学科 |
加藤 裕 | 昭和 25 | 電気工学科 |
後藤 正 | 昭和 25 | 電気工学科 |
白井 光雄 | 昭和 25 | 電気工学科 |
林 文雄 | 昭和 25 | 電気工学科 |
間瀬 卓夫 | 昭和 25 | 電気工学科 |
森本 浩 | 昭和 25 | 電気工学科 |
伊藤 健男 | 昭和 26 | 電気工学科 |
伊藤 春光 | 昭和 26 | 電気工学科 |
岩下 湛光 | 昭和 26 | 電気工学科 |
沖辻 寛 | 昭和 26 | 電気工学科 |
小澤 智士 | 昭和 26 | 電気工学科 |
押田 安成 | 昭和 26 | 電気工学科 |
加藤 隆 | 昭和 26 | 電気工学科 |
加藤 正昭 | 昭和 26 | 電気工学科 |
兼子 共明 | 昭和 26 | 電気工学科 |
阪口 貢 | 昭和 26 | 電気工学科 |
高木 博彦 | 昭和 26 | 電気工学科 |
西川 弘 | 昭和 26 | 電気工学科 |
波多野 寅英 | 昭和 26 | 電気工学科 |
林 正雄 | 昭和 26 | 電気工学科 |
原 行一 | 昭和 26 | 電気工学科 |
福井 啓一朗 | 昭和 26 | 電気工学科 |
藤田 利夫 | 昭和 26 | 電気工学科 |
松永 明 | 昭和 26 | 電気工学科 |
松原 英二 | 昭和 26 | 電気工学科 |
吉野 毅 | 昭和 26 | 電気工学科 |
渡邊 辰巳 | 昭和 26 | 電気工学科 |
稲森 康之 | 昭和 28 | 電気工学科 |
岡田 博 | 昭和 28 | 電気工学科 |
國立 健二 | 昭和 28 | 電気工学科 |
嶋田 宏 | 昭和 28 | 電気工学科 |
社本 一郎 | 昭和 28 | 電気工学科 |
須田 耕司 | 昭和 28 | 電気工学科 |
西澤 明 | 昭和 28 | 電気工学科 |
山田 新一 | 昭和 28 | 電気工学科 |
山田 速水 | 昭和 28 | 電気工学科 |
伊藤 英輔 | 昭和 29 | 電気工学科 |
井野 鐵彦 | 昭和 29 | 電気工学科 |
國島 尤 | 昭和 29 | 電気工学科 |
志賀 拡 | 昭和 29 | 電気工学科 |
七滝 健夫 | 昭和 29 | 電気工学科 |
都築 登 | 昭和 29 | 電気工学科 |
廣瀬 皓二 | 昭和 29 | 電気工学科 |
藤垣 節男 | 昭和 29 | 電気工学科 |
本田 哲三 | 昭和 29 | 電気工学科 |
阿部 静基 | 昭和 30 | 電気工学科 |
石川 朝二 | 昭和 30 | 電気工学科 |
内田 忠良 | 昭和 30 | 電気工学科 |
恒松 隆男 | 昭和 30 | 電気工学科 |
加納 俊朗 | 昭和 30 | 電気工学科 |
武田 節子 | 昭和 30 | 電気工学科 |
不破 幸雄 | 昭和 30 | 電気工学科 |
浅井 利夫 | 昭和 31 | 電気工学科 |
安藤 文夫 | 昭和 31 | 電気工学科 |
伊藤 親之 | 昭和 31 | 電気工学科 |
宇野 尚 | 昭和 31 | 電気工学科 |
梅村 英三 | 昭和 31 | 電気工学科 |
大嶋 光朗 | 昭和 31 | 電気工学科 |
小澤 昌夫 | 昭和 31 | 電気工学科 |
熊澤 義美 | 昭和 31 | 電気工学科 |
辻村 尚明 | 昭和 31 | 電気工学科 |
三ツ石 喜郎 | 昭和 31 | 電気工学科 |
武藤 保 | 昭和 31 | 電気工学科 |
新剛 実 | 昭和 32 | 電気工学科 |
今村 哲 | 昭和 32 | 電気工学科 |
植田 俊男 | 昭和 32 | 電気工学科 |
岡野 修 | 昭和 32 | 電気工学科 |
金田 桂太郎 | 昭和 32 | 電気工学科 |
中場 保彦 | 昭和 32 | 電気工学科 |
水谷 安郎 | 昭和 32 | 電気工学科 |
三輪 純一郎 | 昭和 32 | 電気工学科 |
森 千鶴夫 | 昭和 32 | 電気工学科 |
守山 茂一郎 | 昭和 32 | 電気工学科 |
山口 昌幸 | 昭和 32 | 電気工学科 |
青山 忠司 | 昭和 33 | 電気工学科 |
荒井 英二 | 昭和 33 | 電気工学科 |
伊藤 正秋 | 昭和 33 | 電気工学科 |
加藤 愛郎 | 昭和 33 | 電気工学科 |
木村 欽哉 | 昭和 33 | 電気工学科 |
寺社下 政美 | 昭和 33 | 電気工学科 |
高橋 等 | 昭和 33 | 電気工学科 |
竹内 儀行 | 昭和 33 | 電気工学科 |
寺林 康治 | 昭和 33 | 電気工学科 |
中谷 恭朗 | 昭和 33 | 電気工学科 |
中林 幹夫 | 昭和 33 | 電気工学科 |
兵藤 隆 | 昭和 33 | 電気工学科 |
前島 一雄 | 昭和 33 | 電気工学科 |
水野 光雄 | 昭和 33 | 電気工学科 |
村松 久郎 | 昭和 33 | 電気工学科 |
森下 正三 | 昭和 33 | 電気工学科 |
安井 邦夫 | 昭和 33 | 電気工学科 |
芦崎 重也 | 昭和 34 | 電気工学科 |
行奈 貞夫 | 昭和 34 | 電気工学科 |
岡田 明義 | 昭和 34 | 電気工学科 |
草野 洋 | 昭和 34 | 電気工学科 |
鈴木 倭 | 昭和 34 | 電気工学科 |
俵 康雄 | 昭和 34 | 電気工学科 |
藤井 寿崇 | 昭和 34 | 電気工学科 |
松田 功 | 昭和 34 | 電気工学科 |
森島 茂樹 | 昭和 34 | 電気工学科 |
山田 篤三 | 昭和 34 | 電気工学科 |
山田 要 | 昭和 34 | 電気工学科 |
梅野 正義 | 昭和 35 | 電気工学科 |
大谷 健嗣 | 昭和 35 | 電気工学科 |
岡田 昌孝 | 昭和 35 | 電気工学科 |
岡野 達夫 | 昭和 35 | 電気工学科 |
岡本 倫央 | 昭和 35 | 電気工学科 |
片岡 省三 | 昭和 35 | 電気工学科 |
後藤 秋生 | 昭和 35 | 電気工学科 |
薗田 耕一 | 昭和 35 | 電気工学科 |
三浦 允之 | 昭和 35 | 電気工学科 |
森田 甫之 | 昭和 35 | 電気工学科 |
安藤 元吉 | 昭和 36 | 電気工学科 |
大野 隆一 | 昭和 36 | 電気工学科 |
小田 征一郎 | 昭和 36 | 電気工学科 |
神谷 昌宏 | 昭和 36 | 電気工学科 |
黒田 和助 | 昭和 36 | 電気工学科 |
後藤 英夫 | 昭和 36 | 電気工学科 |
堤 格士 | 昭和 36 | 電気工学科 |
西村 秀夫 | 昭和 36 | 電気工学科 |
細野 猪三男 | 昭和 36 | 電気工学科 |
馬路 才智 | 昭和 36 | 電気工学科 |
本村 義質 | 昭和 36 | 電気工学科 |
山田 克彦 | 昭和 36 | 電気工学科 |
加藤 祥三 | 昭和 37 | 電気工学科 |
鬼頭 博明 | 昭和 37 | 電気工学科 |
久保村 徳太郎 | 昭和 37 | 電気工学科 |
田中 一義 | 昭和 37 | 電気工学科 |
玉野 元一 | 昭和 37 | 電気工学科 |
土居 秀行 | 昭和 37 | 電気工学科 |
野田 昭 | 昭和 37 | 電気工学科 |
水谷 欽弥 | 昭和 37 | 電気工学科 |
是木 修一 | 昭和 38 | 電気工学科 |
中谷 光男 | 昭和 38 | 電気工学科 |
加藤 勝英 | 昭和 39 | 電気工学科 |
鴨下 功 | 昭和 39 | 電気工学科 |
田村 英也 | 昭和 39 | 電気工学科 |
津崎 芳三 | 昭和 39 | 電気工学科 |
服部 昭三 | 昭和 39 | 電気工学科 |
水澤 健一 | 昭和 39 | 電気工学科 |
山田 政雄 | 昭和 39 | 電気工学科 |
飯塚 昌之 | 昭和 40 | 電気工学科 |
大西 旻 | 昭和 40 | 電気工学科 |
山口 善民 | 昭和 40 | 電気工学科 |
石丸 隆英 | 昭和 41 | 電気工学科 |
稲葉 次紀 | 昭和 41 | 電気工学科 |
大島 孝二 | 昭和 41 | 電気工学科 |
大島 俊蔵 | 昭和 41 | 電気工学科 |
大場 直之 | 昭和 41 | 電気工学科 |
神本 勝巳 | 昭和 41 | 電気工学科 |
武井 恵一 | 昭和 41 | 電気工学科 |
谷 辰夫 | 昭和 41 | 電気工学科 |
都留 之舒 | 昭和 41 | 電気工学科 |
中村 光一 | 昭和 41 | 電気工学科 |
前越 久 | 昭和 41 | 電気工学科 |
森 充 | 昭和 41 | 電気工学科 |
八神 正彦 | 昭和 41 | 電気工学科 |
八島 武久 | 昭和 41 | 電気工学科 |
渡辺 本 | 昭和 41 | 電気工学科 |
亀尾 恭司 | 昭和 41 | 電子工学科 |
丹下 正彦 | 昭和 41 | 電子工学科 |
伊藤 洋太郎 | 昭和 42 | 電気工学科 |
川島 征一郎 | 昭和 42 | 電気工学科 |
小島 一男 | 昭和 42 | 電気工学科 |
佐原 定義 | 昭和 42 | 電気工学科 |
水野 重雄 | 昭和 42 | 電気工学科 |
水野 義裕 | 昭和 42 | 電気工学科 |
吉村 洋典 | 昭和 42 | 電気工学科 |
阿江 努 | 昭和 42 | 電子工学科 |
加藤 尚志 | 昭和 43 | 電気工学科 |
佐々木 春生 | 昭和 43 | 電気工学科 |
鈴木 清明 | 昭和 43 | 電気工学科 |
重見 健一 | 昭和 43 | 電気工学科 |
高橋 俊之 | 昭和 43 | 電気工学科 |
横林 正雄 | 昭和 43 | 電気工学科 |
太田 忠久 | 昭和 43 | 電子工学科 |
牧野 正俊 | 昭和 43 | 電子工学科 |
奥野 郁弘 | 昭和 44 | 電気工学科 |
木原 清 | 昭和 44 | 電気工学科 |
佐藤 恒夫 | 昭和 44 | 電気工学科 |
菅野 宗二 | 昭和 44 | 電気工学科 |
石割 三千雄 | 昭和 45 | 電気工学科 |
上田 政博 | 昭和 45 | 電気工学科 |
中島 豊四郎 | 昭和 45 | 電気工学科 |
松村 好高 | 昭和 45 | 電子工学科 |
川上 光雄 | 昭和 46 | 電子工学科 |
池田 敏行 | 昭和 47 | 電気工学科 |
加藤 元三郎 | 昭和 47 | 電気工学科 |
川越 英二 | 昭和 47 | 電気工学科 |
田島 耕一 | 昭和 47 | 電気工学科 |
市原 正樹 | 昭和 48 | 電気工学科 |
川端 康己 | 昭和 48 | 電気工学科 |
三木 敏裕 | 昭和 48 | 電気工学科 |
北村 正 | 昭和 48 | 電子工学科 |
中島 正敏 | 昭和 48 | 電子工学科 |
山下 典雄 | 昭和 48 | 電子工学科 |
米谷 忠俊 | 昭和 48 | 電子工学科 |
朝倉 吉隆 | 昭和 49 | 電子工学科 |
浅井 良一 | 昭和 50 | 電気工学科 |
荻原 義也 | 昭和 50 | 電気工学科 |
廣瀬 光利 | 昭和 50 | 電気工学科 |
眞鍋 和人 | 昭和 50 | 電気工学科 |
浜岡 重男 | 昭和 50 | 電子工学科 |
岩波 保則 | 昭和 51 | 電気工学科 |
恩地 秀男 | 昭和 51 | 電気工学科 |
志垣 幹夫 | 昭和 51 | 電気工学科 |
山田 秀夫 | 昭和 51 | 電気工学科 |
吉村 元 | 昭和 51 | 電子工学科 |
佐内 進 | 昭和 52 | 電気工学科 |
爾見 正樹 | 昭和 52 | 電子工学科 |
森 壽保 | 昭和 52 | 電子工学科 |
内海 和彦 | 昭和 52 | 情報工学科 |
山中 清 | 昭和 52 | 情報工学科 |
川村 信之 | 昭和 53 | 電気工学科 |
岡内 清弘 | 昭和 53 | 電子工学科 |
木村 準 | 昭和 53 | 電子工学科 |
藤原 亨 | 昭和 53 | 電気工学科 |
片桐 彰夫 | 昭和 54 | 電気工学科 |
大前 義信 | 昭和 54 | 電子工学科 |
村上 仁志 | 昭和 54 | 電子工学科 |
酒井 公孝 | 昭和 54 | 情報工学科 |
山口 初一 | 昭和 56 | 電気工学科 |
石橋 豊 | 昭和 56 | 情報工学科 |
安藤 幹人 | 昭和 57 | 電気工学科 |
竹下 隆晴 | 昭和 57 | 電気工学科 |
谷本 弘二 | 昭和 57 | 電気工学科 |
菊間 信良 | 昭和 57 | 電子工学科 |
高橋 清 | 昭和 57 | 電子工学科 |
星野 昭広 | 昭和 58 | 電気工学科 |
松尾 啓志 | 昭和 58 | 情報工学科 |
徳田 恵一 | 昭和 59 | 電子工学科 |
原田 知育 | 昭和 59 | 電気工学科 |
酒井 泰誠 | 昭和 59 | 情報工学科 |
水谷 清信 | 昭和 60 | 電気工学科 |
竹田 明弘 | 昭和 60 | 電子工学科 |
平野 智 | 昭和 60 | 電子工学科 |
太田 貴敏 | 昭和 61 | 電気工学科 |
熊﨑 昭 | 昭和 61 | 電気工学科 |
高石 一慶 | 昭和 61 | 電気工学科 |
羽賀 政雄 | 昭和 62 | 電気工学科 |
森田 良文 | 昭和 62 | 電気工学科 |
安井 晋示 | 昭和 62 | 電気工学科 |
犬塚 信博 | 昭和 62 | 情報工学科 |
鎌田 和弘 | 昭和 63 | 電気工学科 |
郷地 元博 | 昭和 63 | 電気工学科 |
林 宏明 | 平成 1 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
隅田 光一 | 平成 2 | 電気工学科 |
黒柳 奨 | 平成 3 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
榊原 久二男 | 平成 3 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
青木 睦 | 平成 4 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
柴田 尚吾 | 平成 4 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
山縣 英広 | 平成 4 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
加藤 昇平 | 平成 5 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
中村 剛士 | 平成 5 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
加藤 利通 | 平成 6 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
石川 茂 | 平成 7 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
田中 美弘 | 平成 9 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
石川 博康 | 平成 10 | 電気情報工学科 (電気・電子) |
布目 敏郎 | 平成 10 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
山口 泰功 | 平成 10 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
村瀬 真吾 | 平成 14 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
谷口 和弘 | 平成 15 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
小松 正幸 | 平成 16 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
夏目 恵介 | 平成 18 | 電気情報工学科 (情報・通信) |
新年度が始まり,電影会関連の学科の担当も以下のようになりました.
詳細は こちら をご覧下さい.
名古屋工業会第43回通常総会が、5月23日(土)に開催されます。皆様振るってご参加のほどよろしくお願いいたします。
詳細につきましては、名古屋工業会のホームページ(http://www.nagoya-kogyokai.jp/)をご覧下さい.
詳細は こちら をご覧下さい.
でんえい会誌の記事を募集いたしますので,会員の皆様からの積極的なご投稿を電影会までお願いいたします. 1ページ約1600字です.
名古屋工業大学内 電影会
〒466-8555 名古屋市昭和区御器所町
TEL: (052) 735-5459 (ながれ領域事務室)
TEL: (052) 735-5458 (事務: 黒柳庶務理事)
FAX: (052) 735-1355 (事務: 黒柳庶務理事)
E-mail: office@denei.jp
URL: http://www.denei.jp
最終更新 : 2009年 8月 2日 (日) 19:10:06